勿凝学問8
2004年5月17日午前脱稿
17日夜、民主党小沢氏、代表就任を辞退。本稿は、17日朝には書き終えており、小沢氏代表就任辞退の情報は反映されていない。
だが、そのことは、話の本筋には何ら影響を与えることはない。
慶應義塾大学
商学部 教授
権丈 善一
5月15日の新聞紙面と年金報道の信頼度
未納と年金制度のユーザー・インターフェースの劣悪さ、そして年金一元化
政争の具と政治リスク
年金報道の見分け方


 日曜日の午後になると3日後水曜日の講義での雑談ネタを考えはじめたりする。5年ほど前に社会保障(講義要綱)の講義を開始したときから、学生たちの遅刻と欠席を少なくする工夫の一つとして、講義の最初に時事問題を題材とした雑談をすることにしている。この雑談を楽しみにしてくれている学生もいるようだから、こちらも面白がって題材を考える。最近出した『
年金改革と積極的社会保障政策』に収めた「勿凝学問5 マニフェストと小選挙区比例代表並立制の矛盾」「勿凝学問6 Institutions matter――制度は大切である」は、講義での雑談が先にあり、その後に文章にした雑文であった。そして最近は、先月書き下ろした「勿凝学問7 2004年、年金と政治、そして将来の考え方」をきっかけとして、慶應出版が、拙文に公開の場を提供してくれることになった。「慶應出版TOP」「年金改革と積極的社会保障政策」のように、気のむくままに自由にまとめた雑文を表現し、記録しておくことのできる場を得たわけである。
 ところで、「日本の学者は授業で自説を、学会では通説を論じる」と揶揄したのは森嶋通夫氏である。これがあまりにも言い得て妙であるためか、多くの論者が紹介するのを目にしたことがある。幸か不幸かわたくしは、授業で語る内容を公開する場を得てしまった。考えてみれば、ここ1年ほどに論じてきたわたくしの年金論も、随分と前から講義中に「いずれ流れが大きく変わって、この講義で話しているサミュエルソン年金命題への批判や賦課方式支持論が日の目を見る日が来るかもしれないな」と論じていた自説だったのである。そこで、今週水曜日の雑談を手始めに、ひとつ文章にしてみようかという気になった。

5月15日の新聞紙面と年金報道の信頼度

5月15日は何の日か?慶應の学生ならば「ウェーランドの講述記念日」と答えてもらいたいところであるが、先週の5月15日は、ちょっと異なる視点から記憶してもらいたいという話しが、今日の雑談である。

<ウェーランド講述の図>
1868年5月15日、東京上野で官軍と彰義隊とが激しく戦っていたさなか、芝新銭座(現在の港区浜松町一丁目)にあった慶應義塾では、福澤諭吉がウェーランドの経済書の講述授業を行っていた。現在、慶應義塾ではこの日を「福澤先生ウェーランド経済書講述記念日」とし、毎年5月15日に三田キャンパス内の演説館で記念講演会を行っている。

5月15日土曜日の前日5月14日、日本では新聞が関心を示しそうな出来事が3つあった。それを50音順に並べると、首相の再訪朝、首相の年金未加入、民主党新代表の内定である。その時のわたくしの関心は、明日5月15日の朝刊の1面トップ(右上)にはどの記事が置かれるかということであった。そして大学に出かければほぼ毎日チェックしている、朝日、産経、東京、日経、毎日、読売(以上50音順)について予想をたててみた。その時の予想は、年金問題をよく勉強しているではないかと、わたくしが日頃からみている新聞は、首相の年金未加入を1面トップに置くことはないだろうというものであった。そして先週土曜日5月15日の新聞をながめてみて、例外もあったが、わたくしの予想がおおよそ当たっていたことを確かめた。

未納と年金制度のユーザー・インターフェースの劣悪さ、そして年金一元化

首相の年金未加入を、ちまたで喧びすしく言われている年金保険料未納問題の延長線上に並べて、首相の再訪朝、民主党新代表の内定よりも重く問題視するためには、相当の論理の飛躍を必要とする。その飛躍を、意図的にか無意識のうちにか行うことのできる新聞は、悪意があるのか無能なのかのいずれかに属するとしか考えられない。そういう新聞の年金論議は、日頃からあまり真に受けない方が良いであろう。現在のように年金保険料未納に対してこれほどまでに国民的エネルギーが注がれ浪費されていないのであれば、首相の年金未加入はとるに足らない出来事であったはずである。首相が国会議員となって国民年金保険料を支払っていなかった時期は加入が任意の時期であったのであるし、どうにか問題視しようとして焦点が当てられている1962年の大学受験浪人の時期には、国民年金保険料を支払っていた浪人生がいたことの方が不思議なくらいなのである。ほとんどの浪人生は、前年の1961年に施行された国民年金法の下では、高校卒業時まで同級生でそのままストレートに大学に入学した友達は年金保険料を支払わなくても違法とされず、自分たち浪人生は役所にわざわざ出かけて国民年金保険料を支払うための手続きを踏まなければ違法とみされるなど、知りもしなかったであろう。浪人の時期に小泉氏が支払っていなかったのは、彼のせいではなく、強制加入でありながらコンプライアンス(法令遵守)させるための仕組みが弱すぎる<制度のせい>だとみるのが自然である。そしてこの<制度のせい>という考え方は、実は、首相の年金未加入のみにあてはまる考え方ではなく、年金保険料未納期間を持つ国会議員の大半にあてはまるものなのである。そうであるのに、年金保険料未納3閣僚が発覚し報道されたのは衆議院補欠選挙の前々日、昨4月23日なのであるが、それからおよそ1ヶ月間も、国会では見かけ上の盛り上がりとは裏腹に、情けないことに、われわれ公的年金ユーザーにとって必要かつ有益な論議は店晒しにされたままとなっている[1]

その原因は、民主党前代表にあったのか、それともメディアにあったのか、それを知る判断材料をわたくしは持っていない。しかしながら、現閣僚の中に3人の年金保険料未納者がいることが発覚したとき、民主党前代表もメディアも、年金保険料未納者が生まれるのは年金のユーザー・インターフェースの悪さが底流にあることが原因であると正直に言うべきであったし、自らもそのように素直に受け止めるべきであった。そうしておけば、年金保険料の未納が、よもや自分に降り掛かるとは予想できないまでも、自分の党である民主党にもおそらく未納者が出てくると、簡単に読むことができたはずである。当時、大学院講義のなかでわたくしは、「未納を評価し、この政治現象がどう動くかを予測する際に大切なことは、未納は、意図的な現象なのか、それとも悪気はなかったけれども未納のままでいてしまったのか、それを見極めることだ。彼ら政治家にとっては国民年金保険料など微々たる額にすぎない。それを支払わないことの政治リスクを考えれば、支払っておく方が得策であるであることは、経済学を知っている君たちからみれば自明の理のはず。彼らは、意図的に支払っていなかったとは考えにくい。これはやはり、年金のユーザー・インターフェースの問題と考えてよさそうである。となれば、保険料の未納者は他にも数多くいるはずであると、君たちでも簡単に予測することができる」と話していた。年金のユーザー・インターフェースという言葉は、勿凝学問7のなかで、「今国会における年金問題について、日本の税制の、いわゆる抜本改革につながり、公的年金のユーザー・インターフェースを高めることになる<民主党の一元化案>を非常に高く評価してはいるが、その一方で、政府案を廃案にする必要はまったくないとみている」という文脈ではじめて使った言葉である。そこでは、制度が乱立している年金のユーザー・インターフェースは悪すぎる。年金一元化はユーザー・インターフェースを高めるためにも必要なのであると論じていた。そして民主党が国民によりよき年金を提供することを目的とするのであれば、こうした論理に沿って自ら掲げる年金一元化案の長所をアピールすべき好機でもあった。ところが、民主党前代表は年金保険料未納閣僚の存在を、その問題の実態から得られる以上の大きな獲物を得ることをねらった政争に使おうとした。国民に強くアピールするためには、年金未納者を悪者に仕立て上げなければ迫力が足りず、民主党前代表や一部のメディアは、論理を大いに飛躍させることにより、彼らが意図的に年金保険料を支払わなかったという雰囲気を作り上げてしまった。

政争の具と政治リスク

しばしば、「年金は政争の具にすべきではない」と言われるのを耳にする。しかしながら、政争の具にすべきではない政治案件などあるはずもなく、わたくしは、政治家たるもの、与党の力を揺るがす案件があるのであれば、それを最大限利用すべきであると思う。それに、「年金は政争の具にすべきではない」といくら言っても、彼らはチャンスがあればいかなる案件であろうが政争に利用しようとすると仮定する方が現実を捉えているであろう。「すべきでない」などと言っても実際のところまったく無駄なのである。とはいえ、政治案件には、政争の具にするのにリスクの高いものと低いものがあることくらい、政治家には知っておいてもらいたいとも思う。メディアが乗ってくれさえすれば、世論を動かすことは不可能ではない。しかしながら、世論を動かすために、ウソの話をしなければならない政治案件は、政争の具にするには、少々リスクが高いということも、政治センスのひとつとしてわきまえておいた方が良いようにも思える。江角マキコさんの年金保険料の未納が政治家に飛び火する発端となった3閣僚の未納が発覚したとき、政治家に未納者が存在することは根本的には、年金の使い勝手が悪すぎるという制度欠陥、年金のユーザー・インターフェースの欠陥が原因であった。したがって、議論すべきことは、まさに民主党が提示していた年金制度のシンプル化、一元化への道筋作りだったのである。こういうことは、年金制度について少し知っている者ならば、普通に推測がつくことであった。ところが、民主党前代表は、年金一元化への道筋作り以上のものを求めてしまったのか、未納3閣僚の発覚という事実を大きな獲物をねらった政争に利用しようとした。しかし論理の大きな飛躍がなくては年金未納の3閣僚を責め立てることができる事柄ではなかったので、年金未納を政治家個人の倫理問題に帰するという、見るからにウソの話しを国民に信じ込ませてしまった。その後の展開は、みんなが知っている通りである。全党に、未納者が続出しただけではなく、民主党前代表は自分の未納までもが発覚してしまい、その件については本来代表辞任などという責めを負うようなことをしてもいないのに、代表を辞任せざるを得ない状況に追い込まれた。彼がテレビ出演の梯子をしながら国民に訴えていたことは正論であったのである。しかし正論が通じないまでに世論の狂気を演出した責任の過半は彼にあった。わたくしからみれば、ウソの情報を流さなければ政争になり得ない政治案件を利用するという、リスクの高い戦略を選択して政争をしかけたがゆえの結末であり、彼の読みのセンスに難があったのであろうとしか評しようがない。

年金報道の見分け方

このように、国会議員に未納者が大量に存在するという事実は、年金のユーザー・インターフェースを高めるために一元化を押し進めるべしという情報以上のものを持ってはおらず、それ以外に国会審議を妨げるに価する本質的な意味を探すのは難しい。ましていわんや、首相の年金未加入という事柄を問題視するのが常識とみなされる風潮があるとすれば、この国のメディアは常軌を逸しているのではないかと、かえって危うさを感じさえする。そうであるのに、首相の年金未加入を首相の再訪朝と民主党の新代表の内定よりも重視して、5月15日に1面トップに持ってきた新聞がある。それほどまでに、首相の再訪朝と民主党の新代表の内定は価値がない事件なのであろうか!?
 新聞は疑いの目をもって他紙と比較しつつ読むようにと、いつも授業で君たちに話しているのだが、2004年5月
15日に首相の年金未加入を1面トップに置いた新聞については、日常の年金報道を他紙よりも少し強く疑いながら読むことを、君たち学生には薦めたい。それが混乱している今日の年金報道の見分け方のひとつでもある。もっとも新聞のなかには、首相の年金未加入そのものが問題ではなく、その発表が衆議院での年金法案可決後になされたことを問題視するものもある。けれども、新聞をはじめとしたメディアが、未納問題に関する論理の飛躍合戦をしている渦中に、仮に自分に年金未加入時期があったことを分かっていたとしても、わざわざ衆議院での採決前にそれを公にするはずがない。この国の首相が、その程度の政治センスを持ち合わせていたことを、むしろ喜ぶべきことなのだとわたくしは思っている。そして新しく決まるであろう民主党代表が衆議院本会議に欠席した本当の理由など、わたくしが知るよしもないが、「一兵卒は一兵卒・代表は代表」という立場をとり、年金一元化には必須の<税制の真の意味での抜本改革>[2]には逃げ腰になるであろう政府を、3党合意に基づいて強く叱責して豪腕を揮う役割を演じてもらえればと期待したい。と同時に、そうした姿勢が、熾烈な政争において最も有利な戦略と成り得る程に、有権者の相当数が自分の損得をしっかりと評価できるようになることを求めたい。かなりの数にのぼる有権者が自分の損得をしっかりと見極めれば、3党合意は、なかなか良いセンいっていることに気づくはずなのである[3]
 最後に、これは本当に余談ではあるが、最近の年金保険料未納を取り巻く現象は、いずれの党も関わってしまったという意味において「第2のリクルート事件」と呼んでも良いような事態になってきた。1994年に一歩前進をみせた政治改革が江副浩正氏(リクルート社元会長)のおかげてあったと、今になって振り返れば言うことができるように、ひょっとすると近い将来、我々は、民主党前代表の人柄に感謝することになる出来事が、起こるのかもしれない。もっとも、リクルート事件と年金保険料未納とでは、事件としての迫力にあまりにも差がありすぎるのではあるが、世論というのは時にしてそのあたりのところはあまり問わなようでもある。


[1]審議して欲しい諸点は、「学問凝勿7 2004年、年金と政治、そして将来の考え方」における、「審議してもらいたいいくつかの点」を参照してもらいたい。

[2]「年金一元化には必須の税制の真の意味での抜本改革」という言葉の意味は、「学問凝勿7 2004年、年金と政治、そして将来の考え方」における、次の文章を参照してもらいたい。「日本の将来を考える際に「大切な問題は政府の財源調達力であり、税制である」と論じているために、<税と年金、および社会保障全般との問題>が、まさに国会を舞台として議論されるきっかけを作ってくれた小泉首相の「年金一元化発言」に感謝したいと思う。おかげでようやく少なくとも年金に関心のある人は、年金一元化とは税の問題であり、この税の問題は年金のみに係わるのではなく社会保障全般、租税制度全般に関係する根が深い問題であるという意識をもちはじめてきたのではなかろうか。今後の展開がとても楽しみにとなった」。

[3]「勿凝学問7 2004年、年金と政治、そして将来の考え方」をにおける、「自民・民主の連立政権の必要性と公的年金の抜本改革」を参照されたい。
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