勿凝学問7
2004年4月17日脱稿
慶應義塾大学
商学部 教授
権丈 善一
◆政府年金改革案の長所-マクロ経済スライドと年金課税
◆政府年金改革案と民主党案の連続性
◆自民・民主の連立政権の必要性と公的年金の超抜本改革
◆民主党案には負担と給付のバランスを図る自動調整メカニズムは含まれていない
◆審議をしてもらいたいいくつかの点
◆財源を年金目的消費税に求める選択肢について
◆政府年金改革案の仮定値を国民は知っておくべし、そして社会経済政策のあり方の議論を

政府年金改革案の長所――マクロ経済スライドと年金課税

 ダーウィン、スペンサーの流れに沿って生物学の影響を受け、複雑性と連続性という概念を重視する経済生物学こそが経済学者が向かうべきメッカであると論じたのはマーシャルである。彼は、「自然は飛躍しない」や「社会問題を全体として取り扱うためにわれわれが持っている唯一の手段は、常識による判断であります」という信条にしたがっていたためか、その政策提言はもどかしいほどに控えめであった。マーシャルほどの慎重さを真似ることは到底無理と諦めてはいるが、それでも<抜本>という言葉を使うことに、いつもためらいを感じてしまう。そして、あたりを見わたすと、抜本改革を口にする研究者には、おおよそ歴史も政治も分かっていないのではないかと疑いたくなる人が多いように思えるし[1]、抜本改革と呼ばれるものの実行可能性を推し量れば、正直なところ<抜本>とは<不可能>の同義語なのかと言いたくもなる。政治家にも、こうした推量が通用するのかしないのかは、わたくしにはよく分からないが、先月の末から、政治家の世界では、年金論議を巡って<抜本>の言葉が激しく飛び交っている。
 ところで、先に私見を述べさせてもらえば、現在国会に提出されている民主党の公的年金一元化案は、可能なかぎりすみやかに日本の年金が到達すべき目標として強く支持する。というよりも、公的年金を一元化すべしという理念を否定する者を探す方が難しいと思う。しかしそうであるからといって、政府の年金制度改革法案〔以下、政府案と呼ぶ〕を、廃案にする必要もないと考えている。この雑文は、政府案と民主党案は互いに対立する代物でもないのに選挙戦における常套手段であるネガティブ・キャンペーンを張り合っている様子、さらに、「年金一元化」という錦の御旗の陰で、実は政府案では10月から予定されている年金保険料引き上げの先送りだけに関心がありそうな諸団体が演じる劇などを、端から観ていてとても面白く、この政治過程にかかわっている多くの人たちに、思わずエールをおくりたくなってまとめたものである。
 まず、政府案のなかで、特に評価されるべき点をあげておこう。第1に、あの政府案はマクロ経済スライドという、年金給付水準をかなり妥当な理由にもとづいて引き下げていくことにより負担と給付のバランスを自動的に調整する仕組みを、日本の年金史上はじめて導入しようとしている。なによりも、マクロ経済スライドが導入されれば、日本の年金の持続可能性は確実に高まる。第2に、これまで拠出時も給付時も実質非課税であったために、他の種類の所得よりも年金の方がはるかに税制上優遇されていたという状況に対して、年金給付時での課税に踏み切り、その財源を年金財政に還元しようとしている。ようするに、これまでは政治的にタブー視されていた年金課税問題[2]に、日本の年金史上はじめて手をつけようとしていると同時に、その税収で年金財政問題を緩和しようともしている。第3に、1996年からストップされていた保険料の引き上げに動くことも、評価されることである。こうした政府案の姿は、自民党と公明党からなる連立政権の枠組みのなかでは、かなり前向きに取り組んだ姿であるとみなされ得る。
 その一方で、「制度(institution)という生き物は時間とともに動くものであり、われわれがみているのは歴史時間における一瞬のスナップショットに過ぎない[3]」と考えているわたくしは、現在、国会に提出されている政府案が、日本の公的年金の恒久の姿になると考えてもいない。たとえば、現行の政府案を支持する論文のなかに、同時に次のような文章を書いている。「国民が公的年金に批判的であることは、好ましいことであると思っている。政府が強制的にわれわれの所得の一部を、租税・年金保険料として徴収しているのであるから、国民、特に若者はしっかりと年金制度に対して要求を掲げるべきである。しかしその要求の矛先を、公的年金の民営化というような方向ではなく、意味のある方向に向けてもらいたいのである。たとえば、基礎年金への国庫負担のあり方の見直し、相続税を強化してこれを年金目的税化していく、さらに言えば年金をはじめとして社会保障政策の足かせとなっている、クロヨン、トウゴウサン(ピン)と揶揄される捕捉率の問題や、免税点の異常な高さゆえに生じている日本の租税制度のいい加減さに強い規律を求めたりする――そうした方向に国民のエネルギーを向けてもらいたい。国民のエネルギーが結集しないかぎり、こうした制度を守ろうとする力を凌駕する改革の力は生まれない。政治力の強弱という問題が、これらの課題について百年河清を俟たされている主な理由なのである[4]」。

 さらには、次のようにも論じている。「将来、第1号被保険者の捕捉率の問題が改善されて被用者保険と同等の社会保険の適用が可能となれば、スウェーデンのように低所得者に対する最低保証年金という方向に変えればいいと思います[5]」。


政府年金改革案と民主党案の連続性

 これまで、わたくしは政府案を評価していながら、同時に政府案の不備を指摘している。そこになにか自己矛盾があるのかというと、実はまったくそうではない。評価と批判が両立しうる最大の理由は、今回の政府案を実行してみても、将来、わたくしがビジョンに描く年金の型の方向に修正する作業は、技術的に難しくないからである。仮に政府案が年金民営化案であったとすれば、その法案の成立はわたくしが望ましいと考える方向への修正をきわめて困難なものとする。ゆえに現在国会に提出されている政府案が年金民営化案だというのであれば、政府案の成立に反対するであろう。しかしながら、わたくしが望ましいとする公的年金と概念上対立する年金民営化のような議論は、もはや終わっている[6]。今の政府案は、第1号被保険者には基礎年金一本、そして第2号被保険者には基礎年金と報酬比例年金からなる2階建て公的年金の型を踏襲している。この制度を走らせながら、将来的に、スウェーデン型をモデルとした――被用者も自営業者農業者も一本の所得比例年金に統合し、低所得者に対しては租税を財源とした最低保証年金を組みこんだ――公的年金に修正することは可能である。それが可能であることは、まずもって、1999年に世界の手本となる年金改革を遂行したスウェーデンが実証してくれている。改革前のこの国の公的年金は、日本の被用者年金と同じく、基礎年金を1階として、2階に報酬比例年金を上乗せした2階建て年金であった。その形から、今日、わが国をはじめ世界中から注目を集めている、報酬比例年金を軸に据え、最低保証年金で低所得者対策を行う形に修正できているのである。
 それでは、報酬比例年金と最低保証年金の組み合わせを望ましいと考えているのに、なにゆえに今回、その望ましい制度を示していない政府案で良しとするのか?それはなによりも、第1号被保険者に所得比例年金を導入するためにクリアーしなければならないハードルが相当に高いと判断されるからである。第1号被保険者に所得比例年金を準備して、第2号被保険者の報酬比例年金制度と一元化するということは、一言で言えば、第1号被保険者に属する多くの者に大幅な保険料引き上げを求めることを意味する。彼らの年金給付を大幅に引き上げようとするのであるから、負担も大幅に引き上げざるを得ないのである。‘実行のための政治的なハードルの高さ――これは多分に所得分配の変化の度合いと符合する――’で抜本性を定義するとすれば、日本の公的年金を所得比例年金に一元化する改革は、抜本改革どころか超抜本改革と呼び得るものであろう。すなわち、それを実現するためには、税の世界での難問中の難問である捕捉率の問題に対処せねばならず、その上に、被用者保険に存在する事業主の保険料負担分をどのように取り扱うかを決め、そして、月額1万3,300円の保険料しか支払っていない第1号被保険者に対して、一気に数倍にも上るおそれのある保険料を課す覚悟もしなければならない。さらには、公的年金の一元化実現への政治的ハードルは、年金の世界の問題のみに依存するのではない。所得捕捉の問題に対して民主党が考えているような「納税者番号」が導入され、自営業者農業者の所得が把握されるようになるということを、彼らは、年金保険料のみならず、他の社会保険料の引き上げ、および所得税・事業税の増税もほとんど同時に迫られることになると受け止めるはずである――事実わたくしは、納税者番号は年金保険料のみならず他の社会保険料、税制全般に使うことができるために、納税者番号、およびその導入を唱える民主党案を支持している側面もある。納税者番号の導入が大幅な増税につながると受け止める自営業者農業者が立ちふさがる政治的ハードルを乗り越えてこそ、意味のある年金一元化は実現できるのである。こうした問題の解決を盛り込むことを頑なに要求してしまえば、マクロ経済スライド導入や年金課税の実現を企図した政府案――これを先の‘抜本改革の定義’にもとづけば、民主党の超抜本改革には劣るであろうが十分に抜本改革と呼ばれるに値すると思う――は、頓挫する。


自民・民主の連立政権の必要性と公的年金の抜本改革

 もっとも、近い将来、自民党と民主党からなる連立政権でも成立してもらわなければならないような、いくつかの大きな課題に現在の日本は直面しているようにもみえる。まずは、政治改革。二大政党を担う見込みの高い自民と民主による連立政権でしか、小選挙区比例代表並立制の見直し、参議院の見直しなどを行うことはできそうにない。それと安全保障問題を見据えた憲法改正である。それから、税制改革をカギとして成立する年金改革である。これら長期的な政策の安定性を求められる重要課題の改革は、将来的に二大政党制の一翼を担う政党に、共同責任を取らせる形で行っておいた方が望ましい――否、共同責任を取らせておかなければならないのである。
 「自民と民主は大連立せよ[7]」と論じる中西氏の次の論はかなり説得力があるものとして、受け止めている。すなわち、「日本政治にとっての唯一の選択は、自民党と民主党による大連立政権を樹立させる以外にないと私は考えている。大連立政権の樹立は譬えて言えば、日本という国家が新たな一歩を踏み出すための、大きな歴史的通過儀礼なのである。先に述べたように、先進民主主義諸国では二大政党制が行われている。たしかに、その一日も早い定着が、日本の民主主義のためには望ましい。しかし、どこの国も最初から二大政党制だったわけではない。日本の政治学者がなぜか指摘しないことだが、政権交代可能な二大政党制に移行する直前に、いずれの国でも大連立政権が誕生しているのである。・・・各国の大連立の例をみていけば、そのことはよくわかる[8]」。イギリス、ドイツ、フランスにおいて二大政党制が生まれる直前に「大連立」が成立している歴史的な詳細は、中西(2004)を参考にしてもらいたい。そして中西は、「大連立」を次のように定義する。「整理していえば<国家的な問題について、党派の違いを超えて問題意識を共有し>かつ<合わせて全議席のほぼ3分の2以上を占める大きさを持った政党同士>が、<限定した明確な政策合意の上に立ち>、<時限的に共同して政権を担当して><国家的レベルの緊急課題に対処する>もの」。
 民主党は、「年金制度改革調査会」を設けて、<年金制度改革の具体的措置及び新制度への円滑な移行のための措置について調査を行う>ことを提案している。けれども、将来二大政党の一翼を担うかもしれない民主党も遠慮をする必要はなく、自民党との連立政権を提案して、自己改革のきっかけをつかみ取ればよい。先にあげた、長期的に安定した政策選択が要求される政治課題であり、しかもこの国における喫緊事――政治改革、憲法改正、そして年金改革――は、自民・民主連立政権での解決策を求めていると、中西氏同様にわたくしも思う。そして民主党が今日掲げている年金制度の超抜本改革は、この大連立政権のもとでならば実行可能性をもつとも考えられるのである。

民主党案には負担と給付のバランスを図る自動調整メカニズムは含まれていない

 こうした政治判断を前提にして最近の年金論議に一言コメントをしておきたい。政府年金改革案が、年金の負担と給付という側面にマクロ経済スライドを導入しているにもかかわらず、民主党が政府案への対案と自称する民主党案では、年金の長期試算に要した種々の仮定値――経済成長率、積立金の運用利回りや出生率など――が、仮定値通りに進まなくなった場合に負担と給付をどのように調整するのかについてまったく触れられていない[9]。この点において民主党案は、政府案に劣ることを、メディアはとりあげて国民に説明してあげなければフェアーではないと思える。政府年金改革案の長所であるマクロ経済スライド導入と年金課税の実現は、新聞や雑誌が得意とする2次元で描かれた政府案と民主党案の相違を表す図上――所得比例年金を三角形で表したり現行の基礎年金を横長の長方形で表す図説――には、描くことができない特徴である。そうであるのに、メディアでの政府案と民主党案の比較は、読者の視角に訴える図を用いた方法を優先するあまり、今回の政府案の長所の説明は、ほとんど完全に切り捨ててしまっている。メディアにとってつらいところであろうが、大切であり重要なことは、概して、複雑なものなのである。

審議をしてもらいたいいくつかの点

 なお、とにかく日本の税制が長い間宿題としてきた捕捉率改善への具体的措置の実現には時間を要するかもしれない。こうした状況が生じて、年金の一元化実現までの時間がいたずらにすぎることになったとしても、第1号被保険者の未納率の高まりが保険料を納めている第1号被保険者、第2号被保険者の保険料に影響を与えない方法であり、それゆえに年金が一元化されようがされまいが保険料を収めている者の保険料には違いが生まれないようにする方法となる――以前からわたくしが提唱している――拠出基準の国庫負担方式の導入[10]は検討してもらいたいと思っている。さらに希望を述べさせてもらえば、年金目的相続税の導入が、なにゆえに難しい問題なのかを今国会で検討してもらえればと願う[11]。年金目的相続税は、不思議と様々な立場に立つ経済学者の間でさえもコンセンサスが得られるアイデアだと思うのであるが、あまりにも政治過程において無視されすぎている。なぜ視野に入れられないのか、その理由が明らかになるような形で、できれば論議してもらいたい。
 その他にも、政府案にはいくつか検討してもらいたい点があることも確かである。まず既裁定年金の改定方法である。これについて以前すでに指摘しているので、ここに引用しよう。「責任世代〔40代から50代〕が経済社会制度の改革に着手し、幸運にもそれに成功して自分たちの世代の年金給付水準が高まったとすると、彼ら責任世代のOB・OGの所得代替率が低下してしまう。新聞の4コマ漫画やブラック・ユーモアのネタになりそうな現象が生じるのである。実際には、この論理は、現在の制度のもとでも成立するのであり、それは、2000年の年金改革で既裁定年金の調整を賃金スライドから物価スライドに変えたゆえに生じる現象である。賃金スライドから物価スライドに変えると、実質賃金の伸び率の分だけ給付を削減することができる・・・と見込まれて制度の改革がなされたのであるが、『方向性と論点』のなかでは、さらにもう一段階、スライド調整率を控除することが提案されている。このように所得代替率維持という目標から、2段階の給付引き下げを機械的に行うということ、そしてそれが、4コマ漫画のネタになるような話につながると、わたくしは、他の方法を提案したくなる[12]」。政府案は、この点、まったく考慮されていないままとなっていることを指摘しておく。
 もっとも、政府案では、保険料を18.35%に固定して、所得代替率50.2%以上などという縛りをかけている。「論理的に考えれば、拠出を先決する拠出建て年金と給付を先決する給付建て年金が両立するはずがない[13]」ものを相並び立てることになってしまったのは、使い方もよくわからないままに日本の選挙に突然入り込んできたマニフェストの弊害であると思っている。拠出建てと給付建ての並立の矛盾が十数年後にしか表れないというのであれば、今回の措置は、愛嬌のひとつだと大目にみることもできる。しかし、拠出建てと給付建てを併存した矛盾が、来年、再来年のことに影響を与えるとなると、その矛盾は大きいと言わざるを得なくなる。この縛りがあるために、政府にさらなる財源が必要となることを要求すると、そのしわ寄せを、他の突拍子もないところ――来年、再来年の年金制度の形に影響を与える側面――に押しつけようとすることになるのである。たとえば、今年はじめの最後の最後の政治折衝のなかで、保険料率を18.35%から0.05%ポイント下げて18.3%にすることが求められた。その際の財源不足を、在職老齢年金を70歳以上にも適用して1,700億円を浮かし、その半額で保険料率0.05%ポイントの引き下げ、そして残りの半額は給付水準を50.1%から50.2%に引き上げるのに使われた。
 働きつづけることができる70歳以上の高所得高齢者への給付を削減して財源を確保するというアイデアは、たしかに一理ある考え方ではあると思う。しかし、高齢者の就業にペナルティを課している在職老齢年金は「原則撤廃[14]」こそ求められているのに、「70歳以上にもこの制度を適用することを提言している。これは在職老齢年金制度の就業抑制効果の及ぶ範囲を拡大した、という意味では問題であろう[15]」。のみならず、70歳を超えても働きつづけることができる高所得高齢者、そして70歳未満に位置するその予備軍の政治的役割というものを、わたくしならば考えてしまう。彼らには、相当なエリート層が含まれているはずである。彼らエリートは、メディアに近く、大勢の人の前で論ずる機会に恵まれている。それゆえに、彼らは、一票の重み以上の影響力を、この民主主義社会のなかではたすことができる。その人たちからの支持を犠牲にしてまでして、13年ほど後に到達することが予定されている保険料を0.05%ポイント下げてみたり、所得代替率を0.1%ポイント上げておくメリットはどこにあるのであろうか。政治算術上、損失の方が多いと思う。在職老齢年金の適用拡張問題については――表面的には当たり障りのない大義名分を表に出して議論することになるのであろうが、政治家たちはもっと利己的な政治面での計算にもとづいて――十分な審議をしてもらえればと願う。そして保険料18.3%、給付50.2%という縛りのなかでは、まったく身動きが取れないというのであれば、この縛りを若干ゆるめてみても、在職老齢年金の適用拡張を実行するよりは、政治的には得策であるように思える。ちなみに、スウェーデンの年金改革に携わった人たちは、口々に、1999年改革の成功の秘訣が、新年金案がもつ論理整合性をエリート層が支持してくれたことにあったと言っていることも付言しておく[16]。「論理整合性があり、規律が厳しく、要求水準も高いアイデアをだせば、エリート層が支持する[17]」。在職老齢年金の70歳以上への適用拡張は、逆方向に向かっている。


財源を年金目的消費税に求める選択肢について

 公的年金の財源を社会保険料で調達する強みは、この制度が、同世代の中で人よりも多くの保険料を支払えば人よりも多くの給付を約束しているという特徴をもっていることである。この点を、まず確認しておく。そこで次に、最近まで――スウェーデンの最低保証年金が登場するまで――わが国でも多くの経済学者が強く主張していた、現行の基礎年金を全額、年金目的消費税でまかなうという方式について考えてみよう。この方式を主張するブームは、幸いにも実行に移されることもなく、終わってしまった。その理由は、現行基礎年金への年金目的消費税導入というアイデアは、2003年3月にわたくしが脱稿した原稿のなかで、「<高所得者にも低所得者にも同じように租税を用いて給付を行うことは公平であろうか?>という、いわゆる<公平論>の高まりという形で[18]〔批判される〕」と指摘した程度のアイデアでしかなかったからである。さらに、2003年4月に脱稿した原稿において次のようにも論じているので、引用しておこう。「スウェーデンがとった改革の方向性は、日本の基礎年金の存在を与件とし、この基礎年金がもつ保険料収納率の問題や第3号被保険者問題等を一挙に解決する手段として、保険方式ではなく租税方式に切り替えるべきであるという論調に動揺を与えるのではないかと、わたくしはみている[19]」。そしてこの読みの通りに、現在、現行の基礎年金にそのまま年金目的消費税を導入するべきであるという論者は、この国からいなくなってしまった。
 そこで次には、スウェーデンのMinimum Pensionの趣を模した「最低保証年金」が、日本で広く言われるようになり、民主党案の「最低保障年金」もこれを踏襲した。ここで思考を一歩踏み留めて考えておきたいことは、民主党案が想定する最低保障年金を成立させるために、日本では年金目的消費税の新設が必要なまでに追加的な税を、これから年金制度に投入しなければならないということである。最低保障年金とは、低所得者に厚く国庫負担を給付し、所得が上昇するにつれて給付額は減っていき、そしてどこかの所得階層において最低保障年金の恩恵は消滅する。民主党案のなかでは、どの所得層あたりで、最低保障年金の給付が終了するのかは明らかにされていない。したがってどの所得階層あたりから、新設される消費税の支払額と最低保障年金の受給額との間の純便益がマイナスになるのかを知ることができない。
 ところで、最低保障年金を年金目的消費税でまかなう案を評価する上で重要なポイントは、相当に多くの者にとっては、新設が計画されている年金目的消費税――正確には「最低保障年金目的税」と呼んだ方がベター――は、給付の見返りなしに支払いつづけなければならない税にすぎないということである。ここで、この節の冒頭で述べた、公的年金の財源を社会保険方式で調達するということは、人よりも多く支払えば人よりも多くの給付が約束されるという特徴をもっている点にあることを思い出してみよう。これに対して、最低保障年金目的消費税は、人より多く支払っても自分の給付にはまったく反映されない人が、中高所得層に相当数発生する。こうしたことを考えると、わたくしには、段階保険料方式を想定している政府案よりも、民主党案――保険料率は現行水準に据え置いておき、今後は年金目的消費税による税収を年金制度に投入して財源をまかなう――の方に肩入れして、「これしかない」と論じる気にはなかなかなれないのである。
 さらに、年金に投入する消費税を目的税化しておけば、財源は安定的に確保されるようになり、したがって最低保障年金を権利として保証することができる仕組みをつくることができると、普通は考えられているようであるが、本当にそうなのかどうかわたくしには判断がつかない側面もある。目的税化しておけば税収を他の公共支出部門よりも優先的に利用できるために年金は安定した財源を確保できるということは、違った側面――たとえば財務省サイド――からみれば、年金目的消費税が硬直化してしまうということである。この硬直化が年金の権利性付与の視点からながめれば、長所として受け止められるのである。けれども、はたして年金目的消費税は、硬直化することにより年金に安定した財源をもたらすのか。ここで硬直化している目的税の例として、まず道路特定財源を思い浮かべることができるであろう。以前、この道路特定財源を題材とした目的税の硬直性について、次のように論じたことがある。「ある特定の公共支出が、ある特定の政治家の政治力の源となり、その公共支出ゆえに政治力を増した政治家が、次の段階では、この公共支出の生命を死守するのに成功するのである[20]」。ようするに、道路特定財源は、政治家にとってうまみがあるために、これを死守しようとする力がはたらき、この財源は硬直化すると考えられる。ところが、年金目的消費税は、これを死守しようとする政治家が生まれるほどのうまみをもつ税なのだろうか。このあたりのところがわたくしには分からない。
 最低保障年金をまかなうために仮に最低保障年金目的消費税が導入された場合には、いずれは、この目的消費税からなんら便益を得ることのない中高所得層の不満が募り、最低保障年金の給付水準引き下げようとするかなり強い圧力が生まれてくるとわたくしはみている。これがスウェーデンのように最低保証年金の財源が目的税ではなく普通税であるのならば状況は異なるとも思えるが、ことは目的税であるためにやっかいな状況となるおそれがある。所得が高いほど、通常、支払う年金目的消費税は多くなる。しかしそこで支払われる年金目的消費税は、実は、自分の年金給付水準にはまったく反映されていない――そういう所得層が広範囲に存在し、彼らは、毎日毎日の消費生活のなかで、最低保障年金目的消費税への不満、そしてこの財源によってまかなわれる最低保障年金の存在に不満を、目的税であるためにかえって強く感じつづけるのではなかろうか。この所得層の不満が高じれば、その不満に乗じて、最低保障年金の給付抑制を実現しようとする政治家、そして行政組織が出てくることになる。ここで重要なことは、こうした給付抑制への動き――すなわち、年金目的消費税収を少なくし、最低保障年金の給付額を下げる動き――を牽制する力が、実はどこからも生まれてこないおそれがあるということである。なぜならば、年金目的消費税と密接なつながりをもっておき、これを死守しなければ自分の政治生命が危うくなる政治家が生まれる状況が、どうにも想定できないのである。この点、道路特定財源の場合は異なる。こうした事情ゆえに、財源を年金目的消費税に求める最低保障年金が、権利性をもって給付が保証される最低年金となりうるのかどうか、わたくしには判断しかねるのである。
 それゆえに、「国庫負担の引上げは皆年金性という軸ともう一つ給付の安定性という軸でみる必要があるのではないか。日本のような比較的保守性が強い国では社会保険制度への国庫負担の引上げと給付の安定性はトレードオフの関係にあることを認識したうえで政策選択すべきだと言いたい[21]」と口にしたり、さらには「国民には、国庫負担割合が高まると将来的には給付削減圧力が高まるおそれがあることを説明しなければフェアーではない[22]」と論じているのである。そして公的年金への国庫負担問題を考える際には、「時間を固定した上での静態的議論――たとえば未納者・第3号被保険者問題を解決するために租税方式にする等の議論」と「時間の経過を見据えた動態的議論――たとえば租税方式は給付抑制圧力が高まり、所得制限等の制約が導入される可能性が高まる等の議論」の両方を行う必要があろうと指摘しつづけているのである[23]。年金をはじめとした社会保障制度に対する国庫負担のあり方は本質的に難しい問題をかかえていることは歴史的経験にもとづけば分かり得ることである。すなわち、受給者の所得と関係なく低所得者にも高所得者にも等しく国庫負担をつける方式であれば、低中所得者からの不公平のそしりが制度を動かすだけの力を得ることになり、低所得者に集中して国庫負担を用いるとなると、中高所得者は、生活保護制度に類似した厳しい受給要件の設置を求めるようになって、この要求が制度を動かすだけの力にまで育ってしまうのである。

政府年金改革案の仮定値を国民は知っておくべし、そして社会経済政策のあり方の議論を

 ところで、今次政府年金改革案は、神代氏が明示しているように、主要なものとして、次の4つの仮定に依存している[24]

1. 実質賃金が2008年度以降年1.1%で上昇すること、
2. 2002年人口推計における中位推計にもとづいて合計特殊出生率が2002年の1.32から回復し、2047年には1.39に回復すること、
3. 積立金が1.25%の実質利回りで運営されること、
4. 基礎年金の国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げること。

 このうち合計特殊出生率について、先週4月7日の衆院厚生労働委員会での坂口厚労相答弁を、朝日新聞が、次のように紹介するとともにコメントを付している。

<公明党の古屋範子氏> (出生率1・39は)過去の推計からして楽観的過ぎるという意見もある。
 <坂口厚労相> 確かに多くの皆さんが難しいのではないかと言われる。この出生率を何とか維持するよう努力しなければならない。維持できなければ年金が崩壊する前に日本社会が崩壊する、というのが私の持論だ。

 出生率が1.1まで下がれば日本の総人口は「今世紀末に4600万人」という計算まで持ち出した。政府と与党が「百年間は持続可能な仕組み」(公明党の神崎代表)と自負するのに、その根拠は努力次第という乏しさだ。国会の年金論争は9日から本格再開するが、余りに「正直な」厚労相の答弁で浮き彫りになった「砂上の改革案」という疑念に野党は切り込めるか[25]

 この新聞記事を目にした読者はどのような感想をいだくのであろうか。「砂上の改革案」というのは、なかなか上手いキャッチフレーズではあるが、こうした表現が使われることに、若干の違和感を覚える。なぜならば、わたくしは、「新制度ではたとえば18%の保険料で50%以上の給付が確保されるように、目標出生率、目標成長率を設定することが許されるのです。そういう議論に火がつけばいよいよ面白くなると考えています」[26]と論じたり、「厚労省年金局も、将来推計を行うために便宜的にそれら〔将来の労働力人口[27]、経済成長率〕について数十年先の値を仮定しているに過ぎないのであって、その仮定通りの未来が訪れるかどうかは、社会経済政策次第なのである[28]」と書いたりしているからである。ゆえに、坂口厚労相の答弁は、国民が知っておかなくてはならない事実を率直に国民に訴えているにすぎないではないかと、わたくしはきわめて好意的に受け止めることになる。たしかに、政府の年金改革案は、仮定値通りに現実が進行しなかったら計画通りにいかなくなるという意味で、「砂上の改革案」であるかもしれない。しかしながら長期推計――実際の将来がそれに確実にしたがう長期推計を行うことは人知の限界を超えている――にもとづかざるを得ない年金改革案は、誰が作ったとしても今後の努力次第という意味で「砂上の改革案」でしかない。将来というのは、過去の投影という方法で予測せざるをえないのであるが、われわれが生きることになる現実の将来は過去の投影という方法だけでは描ききれるものではない。今日から将来に生きるわれわれが、<継続する強い意思>をもつことによって、過去の傾向を変えることは不可能ではないのである。せっかく正直に坂口厚労大臣が言ってくれているのであるから、われわれ国民は、政府案は年率で実質賃金率が1.1%上昇することが仮定されていることを覚えておこう。さらには、出生率が2002年の1.32から将来には1.39に上がることが仮定されていることもしっかりと記憶に留めておこう。そして、政府年金改革案にある仮定通り、いや、欲を言えば、政府案が仮定している値以上の値を実現できるような社会をどのようにして作っていけばよいのか――こうした問題を、みなで前向きに考えて行こうではないか。そうした社会へのひとつの方向性は、すでに、権丈(2004)の第3章「積極的社会保障政策と日本の歴史の転換」のなかで示している。議論のたたき台として利用してもらえればと思う。なお、その論文の結論として、日本の将来を考える際に「大切な問題は政府の財源調達力であり、税制である[29]」と論じているために、<税と年金、および社会保障全般との問題>が、まさに国会を舞台として議論されるきっかけを作ってくれた小泉首相の「年金一元化発言」に感謝したいと思う。おかげでようやく少なくとも年金に関心のある人は、年金一元化とは税の問題であり、この税の問題は年金のみに係わるのではなく社会保障全般、租税制度全般に関係する根が深い問題であるという意識をもちはじめてきたのではなかろうか。今後の展開がとても楽しみにとなった。
 最後に今国会における年金問題について、日本の税制の、いわゆる抜本的改革につながり、公的年金のユーザー・インターフェースを高めることになる<民主党の一元化案>を非常に高く評価してはいるが、その一方で、政府案を廃案にする必要はまったくないとみているわたくしから、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』のなかの一コマを紹介して、この稿を終わりとしよう。
出演
不真面目な海賊  ジャック・スパロウ (ジョニー・デップ)
ヒロイン エリザベス・スワン (キーラ・ナイトレイ)
ヒーロー  ウィル・ターナー (オーランド・ブルーム)

エリザベス「ジャックはどっちについてるの?」
ウィル「今は、こっちの味方みたいだ」


参考文献

翁百合・権丈善一・高山憲之・山崎泰彦(2003)「年金制度改革<厚生労働省の「方向性と論点」をみる> 学識者シンポ 保険料負担や給付水準に課題」『週刊社会保障』(Vol.57, No.2232, 2003 4/28・5/5)
権丈善一(2001)『再分配政策の政治経済学――日本の社会保障と医療』慶應義塾大学出版会
権丈善一(2004)『積極的社会保障政策と日本の歴史の転換――再分配政策の政治経済学U』慶應義塾大学出版会
神代和欣(2004)「給付と負担:世代間扶養と世代間公平の争点」『年金と経済』第22巻第5号, pp.5-12.
坂本忠雄・西澤直子・権丈善一・山内慶太(2004)「座談会 著作に触れ、確かめる 福澤諭吉の新しさ」『三田評論』2004.2, No.1065, pp.14-31.
清家篤(2004)「年金と雇用の整合性」『年金と経済』第22巻第5号, pp.36-41.

高山憲之・権丈善一(2004)「新春対談・平成16年年金制度改正の年を迎えて」『年金時代』2004年1月号, pp.4-11.
中西輝正(2004)「自民と民主は大連立せよ」『文藝春秋』2004.2, pp.184-93.



[1] 生物学・医学とからめて、<抜本>ではなく、実現可能性を探りながら漸進的に改革を実現していく戦略を立て、いつのまにか大改革を遂げている人たちについて、坂本・西澤・権丈・山内(2004) 〔p.27〕で、次のように触れている。すなわち、「医学を修めて福澤先生のように一流の教育者、社会科学者だけではなく、一流の政治家や軍人になった人たちもいるのですけど、どうもあの人たちの頭の中には、抜本的な改革などというものがイメージされていないように見えます」。
[2] 権丈(2004)〔pp.70-71〕の「既裁定年金の改定率と年金課税」を参照してもらいたい。
[3] 権丈(2004), p.4.
[4] 権丈(2004), p.14. スウェーデンで、租税を財源として最低所得を保証するために給付される公的年金は、Minimum Pensionであり、これは従来、最低保証年金と訳されていた。Minimum Pensionが最低所得をguaranteeするものであるから、最低保証年金という訳は適当な日本語名であると思う。ところが今回、民主党の年金改革案のなかでは、このMinimum Pensionに相当する年金が、最低保障年金と呼ばれるようになった。「保障」の「障」という文字は、砦を作って外部の攻撃から守るという意味があり、もっともイメージしやすい用法は、安全保障などがある。
[5] 高山・権丈(2004), p.6.
[6] 権丈(2004), pp.111-114.
[7] 中西(2004).
[8] 中西(2004), p.187.
[9]マクロ経済スライドを、生命体におけるホメオスタット機構に譬えた議論を参照されたい〔高山・権丈(2004), p.5、権丈(2004),p.210-1.〕。ホメオスタット機構とは、生命体が、予測しがたい不確実な将来に対応できるように、外部からの刺激に反応してみずからの安定を自動的に維持するための機構のことである。
[10] 権丈(2004), pp.79-89.わたくしが保険料基準の国庫負担を論じるのは次の理由による。「第1号被保険者の拠出金算定対象割合が100%でないために生じている保険料未納分を、国庫が負担する。すなわち、国庫は、免税者の免除保険料分を社会保障の観点から負担する、特例制度を受けている学生が追納するまで保険料を肩代わりする、未納者を増やしつづけている責任を国がとり、彼らの保険料を国庫が負担する。こうした理由付けにもとづいて、基礎年金に対して国は保険料基準で国庫負担を行い、免除、学生、未納者の存在による保険料未納額を、決して他の被保険者には転嫁しない。また、このような国庫負担のあり方は、第1号および第2号被保険者双方の保険料を下げることにもなるし、そのうえ違った角度からみれば、厚生・共済年金から国民年金への財政調整額を引き下げることにもなる。・・・・・もし、保険料の未納額を埋める形で国庫負担を行うようにすれば、社会保険庁と財務省との間に、毎年度毎年度、緊張が生まれる。この緊張感を適切な制度的枠組みの中に位置づけさえすれば、社会保険庁が収納作業に前向きに取り組むインセンティブ・スキーム、すなわち制度ができるように思える」〔権丈(2004), p.87-8〕。
[11] 年金目的相続税については、次を参照のこと。翁・権丈・高山・山崎(2003), p.41、高山・権丈(2004), p.11、権丈(2004), pp.89-93.
[12] 権丈(2004), p.70.
[13] 権丈(2004), p.21.
[14] 清家(2004), p.39.
[15] 清家(2004), p.39.
[16] 権丈(2004), pp.93-97.
[17] 権丈(2004), p.95.
[18] 権丈(2004), p.259.
[19] 権丈(2004), p.43.
[20] 権丈(2001), p.259.
[21] 高山・権丈(2004), p.6.
[22] 高山・権丈(2004), p.6.
[23] 権丈(2004), pp.247-62.
[24] 神代(2004), p.10.
[25] 2004年4月8日 朝日新聞、朝刊4ページ。
[26] 高山憲之・権丈善一(2004), p.6-7.
[27] 将来の労働力人口は、将来の出生率に強く依存する。
[28] 権丈(2004), p.272.
[29] 権丈(2004), pp.190-193.

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