勿凝学問15x
       やれやれの年金バランスシート論 ――ドン・キホーテと従士サンチョ・パンサの対話集――
2004年8月10日Ver.3
2004年7月27日Ver.2
2004年7月17日脱稿
慶應義塾大学
商学部 教授
権丈 善一
◆世論のクオリティーを高めるために守るべき我々の研究者コード
セルバンテス版ドン・キホーテ
◆(講義の学生さん用)年金バランスシート版ドン・キホーテ
◆(ゼミの学生さん用)年金バランスシート版ドン・キホーテ

◆(大学院生用)サンチョ・パンサの独り言
◆サンチョ・パンサの公的年金バランスシート講座
◆再びセルバンテス版ドン・キホーテと・・・

◆参考文献


世論のクオリティーを高めるために守るべき我々の研究者コード

 
7月16日、『2004年労働政策研究会議』「第2セッション:雇用・年金をめぐる世代間調整」に出席した。その席で、高山憲之教授のご報告を拝聴した(あわせて、少々質問もさせていただいた)。わたくしは、彼の「バランスシートで公的年金を分析すべし」という新説の普及が、日本の年金制度にみられる昨今の不信と混乱の一因になっていると思えて仕方がないのだが、その肝心の年金バランスシート論には、実は論理矛盾が含まれていると考えている。論理矛盾というのは、こうである。高山氏が公的年金は積立方式であるべきであって、過去も現在も未来もそうあるべきと考えるのであれば、彼の年金バランスシート論は、少なくとも論理矛盾はなく、彼の主張は一貫する。しかしながら、公的年金は過去も現在も未来も賦課方式であるべきであり、しかも他の国の賦課方式公的年金と同じように積立金を持つ必要もないと考えるのであれば、彼の年金バランスシート論は論理的に破綻するのである。

氏は年金保険料の引き上げに反対し、2000年の『年金の教室』の前あたりから、今後の年金の財源調達には年金目的消費税を用いるべきと論じられるようになった。保険料か租税かという問題は、それはそれで社会保障の財源調達問題として古くからなされている議論であり、その主張自体は、彼が賦課方式を支持するという姿勢と矛盾するものではなく、みんなで真正面から議論すればよいと思う。ところが高山氏は、ここにきて、保険料の引き上げではなく消費税を用いるべきとする自説を補強するために公的年金のバランスシートを用いて議論するようになられた。問題は、氏の年金バランスシート論というのが、年金の歴史、すなわち積立方式から賦課方式へと移行していった経緯を、「過去の不始末」「過去の政策の失敗」「過去の無責任な政策の帰結」と解釈しないことには、首尾一貫しない論理構造を持つことである。それゆえに、このバランスシート論で公的年金の現状を説明された者は、公的年金に対して不信感を抱くように誘導される仕組みになっている。ようするに、高山氏のバランスシート論というのは、年金への不信感を人びとに抱かせ植え付けるための思考ツールとして、世の中で機能してしまうのである。2004年年金改革の際に建設的な年金論議がほとんどなされなかったことは、この改革の時期に、高山氏が年金バランスシート論を言い始めたタイミングが重なったことと無関係ではないと、わたくしは考えている。

年金バランスシートを用いながら公的年金に対して不信感を抱く方向への世論の誘導を、根っからの積立方式論者が行うのであれば、そこに論理的なミスは観察されない。そして賦課方式を支持する側からみても、そういう論者とは、公的年金の財政方式として積立方式が望ましいのか、それとも賦課方式が良いのかという、これもまた長く続けられてきた議論を正面から行うことができる。けれども、公的年金は賦課方式で運営する方が過去・現在・未来において望ましいとする論者が、年金バランスシート論という思考ツールを用いて議論を行うことは、論理的に自己矛盾しているのではないかと批判されても仕方のないことであるように思える。過去のある時期から賦課方式を支持する第1の論者となられ、しかも日本の公的年金の積立金は多すぎると強く批判し続けてこられた方が、年金バランスシート上で過去拠出対応分の積立金が不足しているとみなし、これはゆゆしき問題であるとして銀行の不良債権と同種の問題と論じられてしまうと、残念ながらその先、論理的・建設的な議論をする道が閉ざされてしまうのである。

先の『2004年労働政策研究会議』の場において、「わたくしの指摘していることは、1+1=2というような算数の問題であり、価値判断を含んだ問題ではありません。ですからわたくしの批判をおかしいと考えられるのならば、論理的に反論されることは、お忙しい先生でも簡単な話だと思います。先生の年金バランスシート論への批判は出そろっています。先生が研究者として次になされるべきことは、先生の説への批判を論破することだと存じます。決して、研究者たちによって批判されっぱなしの先生の自説を、市民に向けて説明し続けることではないと思います。先生のバランスシート論に向けられている我々の批判を論破しきれるまで、先生の説を外で話さないで頂ければありがたく存じます。批判されれば批判者を論破する。論破できなければ、自説に非を認めたとみなされるのであるし、非を認めた論は、世間では口にしない。研究者にはその程度の守らなければならないコードはあると思います。研究者コードを守って、研究者間でちゃんと議論をしましょう。我々がしっかしりとした議論をしなければ、いったいどこでちゃんとした議論が行われるのでしょうか。今度は先生の番です。ご批判、お待ちしております。」と発言したのは、こうした理由による。この程度の研究者コードくらいは我々が守っていかなければ、世論のクオリティーは低落してしまうのである。

 ここでは、賦課方式を良しとし、積立金はほとんど持つ必要もなしとする論者が、過去において積立方式でなければ財政の健全性が保証されない判断基準を持つ年金バランスシートを用いた議論を是とする知的行為が、どれほどの問題点をかかえているのかを整理してみることにする。なお、2004年労働政策研究会議』に出席した際、風車に闘いを挑むドン・キホーテと従士サンチョ・パンサのユーモアのあるやりとりを思い出してしまったので、ここでは、その着想に沿った形で筆を進める。

ところで、本論との関係もある論点について、高山氏にお願いしたいことがあるので、ここに記しておく。高山氏の長年にわたる年金研究のなかで、氏が「これしかない」と判断される政策解は、大幅にぶれられているようにみえる。それ自体は、まじめに研究をしていても起こり得ることであるために、そうした見解のぶれそのものを批判するつもりはない。だがせめて、前の意見から次の見解へとシフトされた際に、なぜ、判断に変化が生じたのかの説明をひとこと公開されることを願いたい。そうでなければ、同じ高山氏の著書であっても、執筆された時期が異なれば、正しいと考えられていることが180度異なることもあったりと、後学の者として非常に混乱してしまう。と同時に、目下「これしかない」とおっしゃっていることも、いずれ変化されるのであろうと、余計な想念を抱く誘惑に自然と駆られてしまうのである。 


セルバンテス版ドン・キホーテ
[1]

――第8章 勇敢なドン・キホーテが、かつて想像されたこともない驚嘆すべき風車の冒険において収めた成功、および思い出すのも楽しいほかの出来事について・・・・・・・・・・

「友のサンチョ・パンサ、どうやら運命の女神は、われわれが望んでいたよりもはるかに順調にことを運んでくださるとみえるぞ。ほら、あそこをみるがよい。30かそこらの途方もない醜怪な巨人どもが姿を現したではないか。拙者はこれから奴らと一戦をまじえ、奴らを皆殺しにし、奴らから奪う戦利品でもって、お前ともども裕福になろうと思うのだ。というのも、これは正義の闘いであり、かくも邪悪な輩を地上から追いはらうのは神に対する立派な奉仕でもあるからだ」。

「どこに巨人がいるんだね?」と、サンチョ・パンサが訊いた。

「ほら、あそこに見える長い腕をした奴らじゃ」と、主人が答えた。

・・・・・

「しっかりしてくだせえよ、旦那様」と、サンチョが言った。「あそこに見えるのは巨人なんかじゃねえだ。ただの風車で、腕と見えるのはその翼。ほら、風に回されている石臼を動かす、あの風車ですよ」。

「ふうむ」と、ドン・キホーテが応じた。「お前はこうした冒険にはよほど疎いと見えるな。実は、あれらはいずれも巨人なのじゃ。だが、怖いなら、ここから離れておればよい。そして、拙者がたった一騎で多勢の巨人どもを向こうにまわし、死闘を繰り広げるあいだ、お祈りでも唱えておるがよい」。

 こう言うが早いか、乗り馬ロシナンテに拍車を当てたドン・キホーテは、従士のサンチョがうしろから、旦那様が責めようとなさっているのは、間違いなく風車であって巨人なんかじゃありませんよ、と注意する声に耳を貸そうとはしなかった。なにしろ彼は、それらが巨人だと天から思いこんでいたので、従士サンチョの大声もまるで耳に入らなかっただけでなく、風車のすぐそばまで近づいても、その正体に気づきさえしなかったのだ。それどころか、意気揚々と、声たからかに呼ばわった――

「逃げるでないぞ、卑怯でさもしい鬼畜ども。おぬしらに立ち向かうは、たった1人の騎士なるをしれ」。

・・・・・

 盾をしっかりと構え、槍を小脇にかいこんで、ロシナンテを全速力で駆けさせ、いちばん手前にあった風車に突撃した。ところが、彼が思いきり槍を立てたその瞬間、風が激しい勢いで翼を回転させたものだから、その槍がへし折られただけでなく、馬とその乗り手もそっくり翼にさらわれて、反対側に放り出され、むざんにも、野原をころがっていく始末だった。

・・・・・

「やれやれ、なんてこった!」と、サンチョが言った。「御自分のなさることにようやくお気をつけなさいまし、あれはただの風車で巨人なんかじゃねえと、おいらが旦那に言わなかっただかね。おまけに、頭のなかを風車がガラガラ回っているような人間でもねえかぎり、間違えようのないことだによ」。

 

講義の学生さん用年金バランスシート版ドン・キホーテ

「友のサンチョ・パンサ、どうやら運命の女神は、われわれが望んでいたよりもはるかに順調にことを運んでくださるとみえるぞ。ほら、あそこをみるがよい。1999年に厚生省〔当時〕が推計した年金のバランスシートにより、530兆円もの<債務超過>を抱えた日本の年金が姿を現したではないか。拙者はこれから、年金官僚らと一戦をまじえ、奴らを皆殺しにし、奴らから奪う戦利品でもって、お前ともども裕福になろうと思うのだ。というのも、これは正義の闘いであり、かくも邪悪な輩を地上から追いはらうのは神に対する立派な奉仕でもあるからだ」。

「どこに<債務超過>があるんだね?」と、サンチョ・パンサが訊いた。

「ほら、あそこに見える年金のバランスシートに記載されている債務超過じゃ」と、主人が答えた。

1 厚生年金のバランスシート(2000年3月末時点)

出所)高山(2004), p.7.


・・・・・

「しっかりしてくだせえよ、旦那様」と、サンチョが言った。「あそこに見えるのは<債務超過>なんかじゃねえだ。あれは、ただの<二重の負担額>で、<債務超過額>と見えるのは、旦那様が賦課方式のバランスシートを積立方式のバランスシートと勘違いして読んでいるからですよ」。

「ふうむ」と、ドン・キホーテが応じた。「お前はこうした冒険にはよほど疎いと見えるな。実は、あれらはいずれも<債務超過額>なのじゃ。だが、怖いなら、ここから離れておればよい。そして、拙者がたった一騎で2004年年金改革案を向こうにまわし、死闘を繰り広げるあいだ、お祈りでも唱えておるがよい」。

 こう言うが早いか、乗り馬ロシナンテに拍車を当てたドン・キホーテは、従士のサンチョがうしろから、旦那様が責めようとなさっているのは、間違いなく<二重の負担>であって<債務超過>なんかじゃありませんよ、と注意する声に耳を貸そうとはしなかった。なにしろ彼は、それらが<債務超過>だと天から思いこんでいたので、従士サンチョの大声もまるで耳に入らなかっただけでなく、公的年金のバランスシートを何度ながめてみても、その正体に気づきさえしなかったのだ。それどころか、意気揚々と、声たからかに呼ばわった――

「逃げるでないぞ、卑怯でさもしい鬼畜ども。おぬしらに立ち向かうは、たった1人の騎士なるをしれ」。

・・・・・

 盾をしっかりと構え、槍を小脇にかいこんで、ロシナンテを全速力で駆けさせ、いちばん手前にあった年金政局に突撃した。ところが、彼が思いきり槍を立てたその瞬間、風が激しい勢いで翼を回転させたものだから、その槍がへし折られただけでなく、馬とその乗り手もそっくり翼にさらわれて、反対側に放り出され、むざんにも、野原をころがっていく始末だった。

・・・・・

「やれやれ、なんてこった!」と、サンチョが言った。「御自分のなさることにようやくお気をつけなさいまし、あれはただの<二重の負担>で<債務超過>なんかじゃねえと、おいらが旦那様に言わなかっただかね。おまけに、頭のなかを風車がガラガラ回っているような人間でもねえかぎり、間違えようのないことだによ」。

ゼミの学生さん用)年金バランスシート版ドン・キホーテ

「友のサンチョ・パンサ、どうやら運命の女神は、われわれが望んでいたよりもはるかに順調にことを運んでくださるとみえるぞ。ほら、あそこをみるがよい。
1999年に厚生省〔当時〕が推計した年金のバランスシートにより、530兆円もの<債務超過>を抱えた日本の年金が姿を現したではないか。拙者はこれから、財政的に破綻している日本の年金を、租税の投入ではなく年金保険料の引上げで守ろうとする奴らと一戦をまじえ、奴らを皆殺しにし、奴らから奪う戦利品でもって、お前ともども裕福になろうと思うのだ。というのも、これは正義の闘いであり、かくも邪悪な輩を地上から追いはらうのは神に対する立派な奉仕でもあるからだ」。

「どこに<債務超過>があるんだね?」と、サンチョ・パンサが訊いた。

「ほら、あそこに見える年金のバランスシートに記載されている債務超過じゃ」と、主人が答えた。

1 厚生年金のバランスシート(2000年3月末時点)

出所)高山(2004), p.7.

 

「しっかりしてくだせえよ、旦那様」と、サンチョが言った。
「あそこに見えるのは債務超過なんかじゃねえだ。旦那様がおっしゃる債務超過額530兆円のうち過去拠出対応部分に関わる450兆円は、賦課方式(正確には修正積立方式)の公的年金を積立方式に転換しようとする際に必要となる、ただの<二重の負担>で、あれが<債務超過>とか<過去における不作為>に見えるのは、旦那様が賦課方式のバランスシートを積立方式のバランスシートと勘違いして読んでいるからだよ。

 図1のバランスシートなんかを使って闘いを挑んだりすると、日本の年金論議を混乱させるだけでしょう。混乱させることがねらいでもない限り、図1を使った議論なんかしないほうがいいですぜ、旦那様」。

 「ふうむ」と、ドン・キホーテが応じた。「お前はこうした冒険にはよほど疎いと見えるな。実は、図1でわしが示した<債務超過額>、あれらはいずれも積立方式の年金バランスシート上で計上される<債務超過額>と同じものなのじゃ。だが、怖いなら、ここから離れておればよい。そして、拙者がたった一騎で巨額の<債務超過>を抱えてすでに破綻しておる日本の年金を消費税投入という武器で救うべく死闘を繰り広げるあいだ、お祈りでも唱えておるがよい」。

 こう言うが早いか、乗り馬ロシナンテに拍車を当てたドン・キホーテは、従士のサンチョがうしろから、旦那様が責めようとなさっているのは、間違いなく<二重の負担額>であって<債務超過額>なんかじゃありませんよ。旦那様の言うように過去拠出対応部分の債務超過額=<二重の負担額>を税金で補填してしまえば、理論的には将来拠出対応部分は積立方式の年金になっちまいますぜ。いくら自分は賦課方式論者だと言い張ってみても、旦那様がおっしゃる抜本改革案を見れば積立方式を望ましさの基準とする論者だと思われちまいますだ。それでも自分は賦課方式が望ましいと考えていると言い続けていると、研究者としていろんな意味で危ないですぜ。
 それに旦那様が年金面で見習うべきと常々おっしゃっているスウェーデンでは、毎年年金のバランスシートが発表されているといっても、あれは図2でいえば、過去拠出対応部分に関して、向こう32年間分の保険料収入を当てた形のバランスシートを発表しているだけでやして(図2過去拠出対応部分では、丁度、国庫負担分に将来の保険料収入があてはめられる形)、旦那様が用いられている将来拠出対応部分のような、危なっかしいもんは作成しておりませんぜ。それから旦那様。スウェーデンついでにもひとつ減らず口を叩いておきやすと、スウェーデン年金のみなし運用利回りは賃金上昇率でして、旦那様が使われている割引率3.2%は厚労省が運用利回りと呼んでいる奴だから、気をつけた方がいいですぜ。〔小声で・・・〕ところで旦那様、あまり大きな声では言えませんが、なにゆえに厚労省が<運用利回り>と定義した値3.2%を自分のグラフに引き直す際には<割引率>と呼び名を変えられたのですか、それから、どうしてスウェーデンをまねて<みなし運用利回り=賃金上昇率――厚労省推計では2.1%>を割引率に使わなかったんでしたっけ、などなどと注意し・質問する声に耳を貸そうとはしなかった。

2 健全化後の厚生年金バランスシート(2000年3月末時点)

出所)高山(2004), p.93.

 なにしろドン・キホーテは、1999年に厚生省が作った賦課方式の年金バランスシート上に試算された<二重の負担額>が<公的年金の債務超過額>だと天から思いこんでいたので、従士サンチョの大声もまるで耳に入らなかっただけでなく、公的年金のバランスシートを何度ながめてみても、その正体に気づきさえしなかったのだ。それどころか、意気揚々と、声たからかに呼ばわった――

「逃げるでないぞ、卑怯でさもしい鬼畜ども。おぬしらに立ち向かうは、たった1人の騎士なるをしれ」。

・・・・・

 盾をしっかりと構え、槍を小脇にかいこんで、ロシナンテを全速力で駆けさせ、いちばん手前にあった年金政局に突撃した。ところが、彼が思いきり槍を立てたその瞬間、風が激しい勢いで翼を回転させたものだから、その槍がへし折られただけでなく、馬とその乗り手もそっくり翼にさらわれて、反対側に放り出され、むざんにも、野原をころがっていく始末だった。

・・・・・

「やれやれ、なんてこった!」と、サンチョが言った。
「御自分のなさることにようやくお気をつけなさいまし、あれはただの<二重の負担額>であって<債務超過>なんかじゃねえと、おいらが旦那様に言わなかっただかね。おまけに、頭のなかを風車がガラガラ回っているような人間でもねえかぎり、間違えようのないことだによ」。

大学院生用サンチョ・パンサの独り言

 旦那様は、要は、段階保険料方式ってことに根っから無理解で、今後の保険料引上げを断固阻止して、その代わりに租税負担を引上げようって魂胆を、およそ20年前の昔から、あの手この手を使って論じているだけではないかね。公的年金ってものがどのような制度なのかをよく知らないまま80年代の初頭に年金の世界にデビューされた時分には、保険料の積立額に相当する給付額を<保険原理(収支相当の原則)>相当部分と呼んで、それ以上の部分を<福祉原理>相当部分と名前を付けては、福祉原理相当部分を税で賄うべしと言っておられた。これには、段階的に保険料を引上げていく修正積立方式(賦課方式に近似させて考えても可)で制度運営することを予定していた人たちを、ビックリさせちまった――この人は公的年金の仕組みを理解しているのかどうか!?とね。

 次に90年代には、賦課方式の年金の熱烈な信奉者へと成長してくださり、一時期は段階保険料方式にも理解を示して、厚生省とは蜜月状態となったわけだ[2]。そしてかつての旦那様と似たようなことをおっしゃる新参者をやっつけて下さる役回りを演じてくださるようにもなった。ところが、三つ子の魂百までってことなのか、男の意地ってものなのか、それとも騎士道物語の読みすぎゆえ(?)なのか、90年代の後半になると、突然、段階保険料方式への反旗を翻して、厚生省と袂を分かった。その時に、基礎年金を全額税方式でやれば、保険料は上げなくても済むと言いはじめられた。それはそれでひとつの見解とみても良いんだが、その後がいけねぇ。というのも、その次のステージでは、旦那様は、基礎年金を全額税方式なんて冗談じゃない、基礎年金への国庫負担を3分の1から2分の1に引き上げるのさえ許さないという論陣を張られるようになられるわけだからねぇ。

 具体的には、90年代最後の年1999年に、スウェーデンが従来の基礎年金プラス報酬比例という日本と同様の公的年金の型を整理して、所得再分配を一切排除しちまった報酬比例年金一本に整理してしまい、その上に最低保証年金を付加した新年金制度を導入したのを見ちまった後、旦那様は今度は、基礎年金に対する国庫負担の引上げを断固反対する急先鋒となられちまったわな。まぁ、90年代の自分の主張――すなわち、基礎年金租税方式論――に自ら反論し始める論陣を張り始められたわけで、その際に<バランスシート論>という世界にも類のない新説、それとも珍説(?)を唱え始められちまったわけだよ。

 80年代、90年代前半、90年代末、2000年代と、旦那様の年金論は第1ステージ(積立方式論者[3])、第2ステージ(厚生省と蜜月状態)、第3ステージ(基礎年金租税方式論者)、第4ステージ(基礎年金租税方式否定・年金バランスシート論)と推移されたと思っているんだけど、第4ステージ「年金バランスシート論」の寿命はどうなるのかね。それに、第5ステージは、どんなのが飛び出してくるのか、あっしは楽しみでしたがねぇ。

 ところで図1で、旦那様には530兆円の債務超過額に見えている部分は、将来にわたって段階的に保険料を引上げていくことを前提とした<段階保険料方式>であるにもかかわらず、保険料を現行の13.58%に固定して、あのようなバランスシートを推計したから表に現れる数字にすぎねえ。今年の改正後の新年金制度のように、保険料が予定通りに18.3%まで引上げられることになれば、保険料引上げによる収入増は将来拠出対応部分の資産のところに積み上げられるってことになる。そして今後国庫負担が引上げられるってことになれば、その国庫負担が、いつ誰の給付に投入されるかによって、過去拠出対応部分か将来拠出対応部分いずれかの資産が上積みされるってわけだ[4]

 だいたいもって賦課方式ってのは、定義上、過去拠出対応部分を将来拠出で賄うっていう制度なわけだから、制度の存続を前提とするかぎり、バランスシートを過去拠出対応部分と将来拠出対応部分に分けること自体、根っからナンセンスってなわけだ。だから、もし厚生年金が永遠に存続するのであって、今後この制度の解体はあり得ないというのであれば、基礎年金への国庫負担と同じように、現在の保険料水準13.58%で得られる将来の保険料収入を、過去拠出対応部分の資産にカウントしたって論理的にはおかしくないってことになっちまう――それが賦課方式ってことなんなんだし、賦課方式のもとで租税と保険料のバランスシート上での区別ってのも、はなっからおかしなことなんだよな。そんなこんなで、スウェーデンで作られている年金のバランスシートは、そういう形――つまりは、過去拠出対応部分の給付を賄う資産として将来の保険料を計上するという形になっている。そういう形がどうしても気にくわないっていうのであれば、今後投入される国庫負担をすべて将来拠出対応部分の資産に載せてみたって、問題ねえってことになりわすわな。

 日本のように段階保険料方式の保険料引上げ途上にあるかぎり――本当は、将来の年金財源調達方法として保険料の引上げと租税負担の引上げの2種類が技術的にはあるわけだし、先にも言いましたように、賦課方式の公的年金のバランスシートのなかで、保険料だとか租税であるとかを区別すること自体がおかしなことだから、将来、保険料のみを引き上げて行くことを前提とした<段階保険料方式>という呼び名を使うってのも問題ありなんですけどね。と言っても、<段階負担引上げ方式>なんて言葉を作っちまっても誰も理解してくれないでしょうから、呼称は慣例にしたがいますけどね――、将来にわたって現在の保険料水準のままであることを想定して、1999年に厚生省が推計した方法でバランスシートを推計しちまうと、たしかに旦那様には債務超過部分に見える部分が、どうしても計上されることになっちまう。でもだからって、その部分を引っ張り出してきて、積立方式年金のバランスシート通りになっているかどうかを正邪の基準にして大騒ぎするってのは、百害あって一利もない話なんだよ。賦課方式の年金を採用して、年金の保険料水準が20%程度にまで到達している他の国々も、保険料を段階的に引上げていったプロセスでみんな経験してきたことを、日本もこれからやろうとしているだけですぜ。これがどうして、「日本ではバランスシートが毀損した銀行に対して巨額の公的資金を投入してきた。その例にならい、過去拠出にかかわる公的年金のバランスシートを修復するために(税金)を集中的に投入したらどうか。そうしても大小の理解は得られると思われる」〔高山(2004), p.85〕という話につながるのか、あっしには、てんで分かりやせんぜ。旦那様がお好きなスウェーデンも90年代のバブル崩壊時に、銀行に巨額の公的資金を投入しやした。しっかし、あの国で、かつての積立方式を強く意識した制度から賦課方式に移行していく過程で、公的年金のバランスシートを回復するために税金を集中的に投入するべしなどという素っ頓狂な議論があったことなど聞いたことありやせんぜ。あっしが無学なせいですかねぇ。
 
 だいたいもって考えてもみなせえ。現時点での基礎年金給付額に対する3分の1の国庫負担分が、過去拠出対応部分の給付債務に付けられるときには、過去拠出対応部分の資産にカウントされて、将来拠出対応部分の給付債務に付けられるときには、将来拠出対応部分の資産にカウントされる。そして、今後基礎年金の給付額に対して引上げられる国庫負担額、ようするに給付費の3分の1から2分の1に引上げられた差額についても、同様の方法で、過去拠出対応部分と将来拠出対応部分の資産に案分されるってわけでさぁ。しっかし、13.58%という現在の保険料で得られる収入は、将来拠出対応部分の資産に入れられちまうことになる。なんだかとんちんかんな話なわけだよ、1999年に年金担当のお役人さんが計算した賦課方式年金のバランスシートってのは。こうした素人にはちいっとばかしわかりにくい操作をお役人がやっている訳を理解するには、ちいっとばかし歴史的な経緯ってのを知らなきゃなんねえんだが、旦那様は、そのあたりをすぐにすっ飛ばしちまう癖があるからいけねえ。

 あのバランスシートをお役人さんが推計した1999年当時は、年金論議も民営化・積立方式化論議で大いに賑わっていたわけでさ。でも、賦課方式で運営されている公的年金を民営化したり積立方式化しちまおってことになると、どうしても二重の負担の問題が出ちまう。そこでお役人さんは、二重の負担がいくらくらいになるかを計算して、年金の民営化・積立方式論者達を少しばかり脅かしてやろうと思って、当事13.58%(総報酬ベース)の保険料のままであり続けることを前提にして、ああしたバランスシート――つまり、二重の負担ってのは信じがたいほどに巨額なんだから、厚生年金を民営化したり積立方式化するってのは机上の空論に過ぎないですよってことを示すための過去拠出対応部分での債務額を推計したわけでさ。でも、厚生年金を解体して民営化・積立方式化したとしても、そこで新しくできる積立方式の年金保険に対して、厚生年金に約束されている国庫負担くらいはつけてあげないとフェアな比較にはならないないだろうということで、基礎年金に対する3分の1の国庫負担に関しては、将来給付されるであろう額を運用利回りで現在価値に換算して、過去拠出対応部分と将来拠出対応部分の給付額に案分してカウントしてあげてるようなんだな、これが。論文書くので忙しすぎて、制度を勉強する暇もない経済学者たちをギャフンと言わせるためとはいえ、ご苦労なものを試算したものだと思うよ、年金官僚さん達は。どうも90年代の前半にドイツでも、公的年金の民営化・積立方式化論議が華やかだったらしく、その騒ぎを静めるために、ドイツの年金官僚さん達が、二重の負担額を推計したらしいんだな。結果は、官僚さん達のねらいどおりに、ドイツでは民営化・積立方式化論議は静かになった。日本も同じような運びになる予定だったんだが、なんと、我が日本国には、我らの旦那様がいなさったてなわけだ。旦那が年金のバランスシートを論じられてるときの参考文献をご覧下さいな。いつも、旦那様の文献しかありませんぜ。それもそのはず、旦那様の年金バランスシート論は、世界にも例のないきわめてオリジナリティの高い理論だからねぇ。ついでに言っておくと、旦那様が昔書かれた文献も、参考文献にはありませんぜ。だって、旦那様の年金バランスシート論は、最近まで旦那様が書かれていたものとまったくつながりがありやせんし、国庫負担投入のあり方なんてのは、最近まで言っていたことの自己否定みたいなもんですから仕方がないわな。あっしの記憶では、旦那様が「年金バランスシート論」を公の場で言い始められたのは、2003年3月11日のことですな。
  
 そこでだ。国庫負担の話でもしやすかね。旦那様は、厚生年金保険料を13.58%に据え置いて、今後必要となる財源を賄うために<年金目的消費税>を新設すべしとおっしゃってはいるけど、旦那様の話を辿っていけば、税は最低保証年金を賄う部分にしか充当できないことになっちまうから、正確には<最低保証年金目的税>、もっと言えば<低所得高齢者年金目的消費税>と正々堂々と呼ぶべきだわな。この低所得高齢者年金目的税として新たに3%の消費税を創設するなんて案が、本当に採用されるのかね。その点、おいらは前々から疑問なんだよ。旦那様も、そしてこの点については似たようなことを言っている民主党様(?)も、どの所得階層にまで最低保証年金が給付されるのかを未だに教えてくれはしないけど、最低保証年金の受給権のない所得層――おそらく中・高所得層――は、新たに創設される低所得高齢者年金目的消費税なんて支持するはずがないじゃないか。最低保証年金の受給権がない所得層の人にとっては、年金目的消費税をいくら払っても給付にはまったく反映されないんだし、これを支払っている理由ってもんが、旦那様の説によれば、<年金政策の過去の不始末を尻ぬぐいするために、この目的税を今後永遠に支払い続けることを納得しておくれ>って説得されるわけだから、納税者たち、特に目的税の支払いがなんら給付には反映されない所得層の人たちは、とてもとても一層やり切れないだろうよ。

 旦那様も民主党様も、報酬比例部分には税を投入せず、税は最低保証年金部分のみに用いると言っているのだし、年金目的消費税の税率まで決めて下さっているのだから、はやいとこ最低保証年金が受給できる所得階層をはっきりと示してもらいたいもんだよ。それが示された瞬間から、<低所得高齢者年金目的消費税>、彼らが言う<年金目的消費税>の新設と、保険料を今後引上げていく<段階保険料方式>のどっちがマシかってことを、みんなマジメに考えるんだろうよ。

 実際、第4ステージに入られてからの旦那様はバランスシート論とかいろいろとおっしゃってはいるけど、旦那様のいう改革案と前国会で通った新年金制度との違いは、今後の財源調達側面についていえば、保険料の引上げで賄うかそれとも税の投入で賄うかという古くから議論され続けてきた問題点――そして旦那様が第1ステージ(積立方式論者)、第3ステージ(税方式基礎年金論者)にいたときから議論してきた問題点一点――しかないんだよ。だから、早いとこ、保険料と租税、どっちが望ましいかという議論をはじめてもらいたいもんだと思うわけさ。

 旦那様も民主党様も、時々、「年金の保険料は今後あげなくても良い」と口にするけど、その代わりに消費税率をあげなきゃならないんだから、その言葉は詐欺のようなもんだろう。まぁ、年金の財源を、今後、保険料の引上げに求めるのか、それとも消費税負担の増加に求めるのか、その重要な論点は、最低保証年金の給付対象外であり、生涯、一方的に最低保証年金目的消費税を支払うだけの所得階層の人たちが、どの程度の人口を占めるかになるずなのだけど、旦那様も民主党様もそのあたりは頬被りしちまったまま。まぁ、そうマジメに考えられては困るから、最低保証年金を受給することができる所得階層ってもんを明らかにしない政治戦略をとっているんだろうけどさ。おいらは好きじゃないね、そういう不誠実な戦略は。
まぁ、野党たる民主党様がそういう戦略をとるってのは分からないでもないし、そうした野党の性根をたたき直すためには一度政権をとらせるしか方法がないんじゃないかと思ったりもしているんだが、研究者がやっちゃいかんだろう、そういう不誠実な戦略は。

 おっとそれから、旦那様が国庫負担のあり方についておっしゃっていることで、あっしにはどうにも分からないことがあるから、ここにメモっておきますわ。旦那様の年金制度の抜本改革案の中で、「税金負担分については定額の基礎年金を最低保証型の年金給付に切り替えるのである。その典型例はスウェーデンやカナダに求めることができる」〔高山(2004), p.84〕という提言と、「過去拠出にかかわる公的年金のバランスシートを修復するために公的年金(税金)を集中的に投入したらどうか」〔高山(2004), p.85〕という提言が、公的年金への国庫負担の投入というひとつの次元で、どのようにつながりがあるのか、よくわからんのでさあ。
 たとえばですぜ。25歳から社会人になって厚生年金保険料を25年間支払った50歳の人がいるとする。彼はこれから15年間保険料を支払うものと考えられるから、都合40年間の被保険者期間があったことになりまさ。図1のようなバランスシートの中では、保険者(政府)が負う過去拠出対応部分の給付債務は25年分であり、将来拠出対応部分の給付債務は15年分となりますわな。旦那様の言う通りにしますと、過去25年分に相当する過去拠出対応部分を国庫で負担して、将来拠出対応部分は保険料で賄うことになりますわな。でもその国庫負担投入のあり方が、どうしてもスウェーデン型の最低保証年金相当部分にはならんのですね。もっと極端な話をしますと、いま年金受給年齢に到達した人がいるとする。その人の給付は、保険者(政府)にとってすべてが過去拠出対応部分の給付債務に相当するわけですよ。そこに国庫を集中的に投入せよっと、旦那様はおっしゃっているのか?このあたりのところが、よく分からん。誰かご存知の方がいらっしゃいましたら、教えて下さいましや。


サンチョ・パンサの年金バランスシート講座

 それじゃあっしはこのあたりで引っ込みますけど、その前に、みなさんに、ひとつ講釈をたれておきますぜ。旦那様の得意な論法は、少なくとも3つほどありまさあ。ひとつは「究極の選択における一方の選択肢のみを見せる論法」、いまひとつは「ためにする議論」、そしてもうひとつは、意識的にか無意識のうちにか、同音異義語を同義語として用いながら、予備知識を持たない人たちを雲に巻いちまうってもんなんでさ。
 
 たとえば、旦那様の年金論第4ステージで用いられるようになった公的年金のバランスシート。あっしからみますと、旦那様の話の中には、少なくとも4つのバランスシートが登場している。第1は積立方式のバランスシート(T 積立方式)、第2は1999年に厚生省が<二重の負担額>を推計するために作ったバランスシート(U 段階保険料方式@)、第3は改正後の年金法案を反映させたバランスシート(V 段階保険料方式 A)、第4はスウェーデンで毎年作られ公開されているバランスシート(W 賦課方式バランスシートの理念型)。

 旦那様は、これら4つをいかにもひとつのものであるかのようにすり替えながら公的年金のバランスシート論を構築されているってわけさ。表1にこれら4つのバランスシートの特徴をまとめてみやしたんで、注意深くながめておいてくださいまし。×ってのは「やらない・あり得ない」ってことを意味し、△は「場合によってはやる・あり得る」ってこと、そして○は説明要らないですわな。

表1 4種類の公的年金バランスシート
将来拠出対応部分の試算 将来における保険料引上げ織り込み済み 過去拠出対応給付債務に将来拠出保険料を資産として充当 将来期間
T 積立方式 × ×
U 段階保険料方式@ × × 将来すべて(?)
V 段階保険料方式A × 2005年から
2100年の95年
W 賦課方式バランスシートの理念系 × × 32年
=滞留期間[5]

では、ひとつずつ説明しておきますよ。
  1. 積立方式のバランスシートは、過去拠出対応部分の給付債務に対して積立金がバランスするかどうかが健全性の基準となる。
    図3 積立方式年金のバランスシート
     
  2.  1999年に厚生省が推計したバランスシートは、基準年度末までに保険料を拠出した人たちに発生した給付債務を、過去拠出対応部分の負債にまず計上する。そして基準年度末に存在する積立金を資産に置き、それから、基準年度以降の年金給付時に負担される国庫の割引現在価値を資産に計上する。
     他方、来年度から保険料を拠出する人たちに発生する給付債務を、将来拠出対応部分の負債として計上する。10年、20年先くらいまでを将来とみなして計算するので済むならば、将来拠出対応部分の給付債務はさほど大きくならないっすけど、日本では最近、ご苦労様にも2100年までの95年先まで推計しているから、給付債務は莫大な額にまで積み上げられる。そして基準年度から徴収される保険料収入と給付時に約束されている国庫負担額の割引現在価値を資産の方に置く。このU番目のバランスシートは、段階保険料方式の年金制度が段階的に保険料を引上げる途中であったとしても、あくまでも現在の保険料のまま将来的には推移すると仮定して試算が行われる。

    図4 段階保険料方式のバランスシート@

  3.  厚労省がこの5月に「平成16年財政再計算」として推計したバランスシートは、新年金制度で予定されている、今後の保険料引上げ(今後毎年保険料を0.354ポイントずつ18.3%まで引上げる)、国庫負担引上げ(基礎年金給付費への国庫負担を3分の1から2分の1への引上げ)を織り込んでいる。新年金制度は、2100年までのバランスシートを健全化することを基準として負担と給付を調整し、保険料引上げ率などを逆算しているのであるから、過去拠出対応バランスシートと将来拠出対応部分バランスシートを合算すれば、収支がバランスするのは当たり前のことであると言える。そして段階保険料方式のバランスシートってのは、こうした形であるのが本来の姿なのであって、保険料をバランスシート推計時点の13.58%(総報酬ベース)に固定した図4の方が、特殊なものであるってことを分かっていなければならない。
    図5 段階保険料方式のバランスシートA
  4.  スウェーデンで推計されている公的年金のバランスシートが、賦課方式年金のバランスシートとしては、最も自然だわな。この国の年金バランスシートは、過去期間分給付を将来の保険料収入で賄うという、制度の実態を反映した形になっている。そして、年金を積立方式に移行する際に発生する二重の負担を明示的に取り扱うために推計せざるを得なくなる将来拠出対応部分のバランスシートなんかは、スウェーデンでは推計されない。
     旦那様は、旦那様の年金バランスシート論はおかしいですよと言う人に対して、そうした批判は「誤解と言いがかり」であるとして、次のようにおっしゃられる。「”公的年金は賦課方式で財政運営されているので、過去分の年金給付債務を問題視する必要はない”などと言い張る人もいる。そのような発言をアメリカやスウェーデンでしたらその人は笑い者になることは必定である。公的年金はアメリカでもスウェーデンでも賦課方式にもとづいて財政運営されている。そのアメリカとスウェーデンで公的年金のバランスシートが毎年公表され、財政の健全性がチェックされているのである」〔高山(2004), p.193〕。スウェーデン人の笑いのツボがどのあたりにあるのか、残念ながらあっしは知らないんですけどね(笑)。少なくともスウェーデンで毎年公表されているバランスシートは、図6のような姿をしてるんでさ。
     ちなみに、あっしが知る限り、年金バランスシート論への批判に対する旦那様ご自身による反論は、上の「そのような発言をアメリカやスウェーデンでしたらその人は笑い者になることは必定である」だけなんだよ。まぁ、いつもそうなんだけど、旦那様は学問上の話の中に、感情的な言葉を挿入しては、それで論証終わりとさちまうんだよな。おいらサンチョ・パンサへの反論が、そんな非論理的な形でなされないことを、心からお祈りしたいもんですぜ。

    図6 スウェーデンの公的年金バランスシート
 新年金制度のもとでは、日本は約5年に一度、財政検証を行って向こう100年程度の財政バランスをチェックするということになっているので、これからもV番目に類似したバランスシートを推計せざるを得ないだろう。でも、図5のように、過去拠出対応部分と将来拠出対応部分を分離して表示することは意味はなく、実際のところ、次のようなバランスシートを作っておけば十分だということになる。

図7 新年金制度の財政検証用バランスシート

 もっとも、「厚生年金・国民年金 平成16年財政再計算結果」では、図7のような過去と将来が分離されていない一本のバランスシートを厚労省は推計しているんだけど、実は旦那様があたかも「中・高年の部」と「若者の部」に読み取らせようとして、図5のように過去拠出対応部分と将来拠出対応部分とに分離してしまっているんですよね。まったく、いたずら好きなんだからあ。
 おっとっといけねぇ、サンチョ・パンサの独り言だったことをすっかり忘れちまって、ところどころ言葉遣いが変わっちまっていたよ・・・。

びセルバンテス版ドン・キホーテと・・・
[6]

――第74章 
ドン・キホーテが病に倒れた次第、ならびに彼が口述した遺言書と彼の死について・・・

「わしは今や曇りのない理性を取りもどし、あのおぞましい騎士道物語を読みふけったがためにわしの頭にかかっていた、無知という黒々とした霧もすっかり晴れたのじゃ。それゆえに、今ではああした物語がいかに荒唐無稽で、まやかしに満ちていたかをはっきりと認めることができる。
・・・・・
《去年の古巣に今年は鳥はいない》と言いますからな」。

・・・・・・でもねぇ旦那様。研究者ってのは、「去年の古巣に今年は鳥はいない」なんて口にするのは、あまり誉められたことじゃないと思いますぜ。それに旦那様は、「年金への信頼が地に落ちた」とおっしゃいますけど、世論のクオリティを地に落とした大きな責任は旦那様にあるんじゃなかろうかと、あっしは思っているわけでございますよ。
 年金バランスシート論は、企業会計についての知識を持つ普通の人たちに、なんとなく分かったような気にさせてくれる考え方だから、燎原の火の如く、旦那様の新説はひろまっちまった。だけど年金バランスシート論という分析ツールは、公的年金の歴史を否定的に解釈させ、世代間の利害対立を煽る思想性を持ってましてね。その思想も一気にひろまっちまった。思想、つまりはモノの考え方、さらに言えば、分かったと思わせる方法の伝播ってのは恐い、そして根強い。なにせ、人間様には、分かりたい欲求というか、納得欲求ってのがあるようで、この納得欲求ってのは、飯食いたいっていう欲求よりも強いんじゃないかと、あっしは常々思っているわけだよ。旦那様の年金バランスシートのおかげで、多くの人たちが、日本の公的年金の在り方を、これはけしからん制度じゃないかと納得しちまった。当分の間、公的年金への誤解が解かれることはないでしょうし、年金に関して世論のクオリティーが高まることは、ありませんでしょうな。


参考文献

   堀 勝洋(2004b)「国民年金の未加入・未納問題」『年金と経済』(Vol. 23, No.2)

[1] 引用は『ドン・キホーテ』〔前篇 一, pp.141-4〕による。

[2] 前バージョンでは、90年代に高山氏が段階保険料方式を支持し、厚生省と蜜月状態にあったことを軽視した、次のような文章を書いていた。しかし氏の考えの変遷をより正確に知るには、やはり氏が段階保険料方式の熱心な支持者となられていた時期を第2ステージとして、これまで合計4つのステージを経られたことを記すべきであろうと思い、本論を修正した(26 July, 2004)。

前バージョンの該当箇所
「次に90年代には、賦課方式の年金の熱烈な信奉者へと成長してくださり、かつての旦那様と似たようなことをおっしゃられる新参者をやっつけて下さる役回りを演じてくださるようになったは良かったけれども、三つ子の魂百までってことなのか、男の意地ってものなのか、それとも騎士道物語の読みすぎゆえ(?)なのか、やっぱり段階保険料方式には無理解のままで、その時は、基礎年金を全額税方式でやれば、保険料は上げなくても済むと言っては、またまた日本の年金論議を混乱させちまった。

 それからそれから、90年代最後の年1999年に、スウェーデンが従来の基礎年金プラス報酬比例という日本と同様の公的年金の型を整理して、所得再分配を一切排除しちまった報酬比例年金一本に整理してしまい、その上に最低保証年金を付加した新年金制度を導入したのを見ちまった後、旦那様は今度は、基礎年金に対する国庫負担の引上げを断固反対する急先鋒となられちまったわな。まぁ、90年代の自分の主張――すなわち、基礎年金租税方式論――に自ら反論し始める論陣を張り始められたわけで、その際に<バランスシート論>という世界にも類のない新説、それとも珍説(?)を唱え始められちまったわけだよ。

 80年代、90年代、2000年代と、旦那様の年金論は第1ステージ、第2ステージ、第3ステージと推移されたと思っているんだけど、第3ステージ「年金バランスシート論」の寿命はどうなるのかね。それに、第4ステージは、どんなのが飛び出してくるのか、あっしは楽しみにしているでさぁ」。

[3] ひょっとすると当時、高山氏は自らが積立方式論者であったという自覚がなかったのかもしれないということも、ここに記しておこう。修正積立方式のもとでの負担と給付の関係を批判されるその視点が、端から見ると積立方式の視点であるという意味で、当時の氏を、ここでは積立方式論者と規定している。なお、高山氏が年金研究に登場された当時は積立方式論者であったという性格規定は、一般的に認められているように思える。ちなみに最近、年金バランスシート論を展開する高山氏を、積立方式支持者と思っている人もおり、それに対して高山氏は、自分は賦課方式論者であると反論をされているようである。けれども、年金バランスシートを用いた論を聴く立場からみれば、その論者が積立方式を支持しているのだろうと誤解してしまっても仕方がない側面を、年金バランスシート論が持つことも確かである。

[4] 基礎年金への国庫負担を、現在のように給付額の何分の1というような給付基準で行うのではなく、わたくしが主張しているように、拠出基準で国庫負担を行うことになれば、国庫負担分はすべて、将来拠出対応部分の資産に計上されることになる。
 ちなみに、わたくしが保険基準の国庫負担を論じるのは次の理由による。「第1号被保険者の拠出金算定対象割合が100%でないために生じている保険料未納分を、国庫が負担する。すなわち、国庫は、免税者の免除保険料分を社会保障の観点から負担する、特例制度を受けている学生が追納するまで保険料を肩代わりする、未納者を増やしつづけている責任を国がとり、彼らの保険料を国庫が負担する。こうした理由付けにもとづいて、基礎年金に対して国は保険料基準で国庫負担を行い、免除、学生、未納者の存在による保険料未納額を、決して他の被保険者には転嫁しない。また、このような国庫負担のあり方は、第1号および第2号被保険者双方の保険料を下げることにもなるし、そのうえ違った角度からみれば、厚生・共済年金から国民年金への財政調整額を引き下げることにもなる。・・・・・もし、保険料の未納額を埋める形で国庫負担を行うようにすれば、社会保険庁と財務省との間に、毎年度毎年度、緊張が生まれる。この緊張感を適切な制度的枠組みの中に位置づけさえすれば、社会保険庁が収納作業に前向きに取り組むインセンティブ・スキーム、すなわち制度ができるように思える」〔権丈(2004), pp.87-8〕。


[5] 滞留期間とは、平均年金受給年齢(保険料加入者の賃金加重の平均年齢)マイナス保険料拠出年齢(年金受給者の年金額加重の平均年齢)で計算され、この滞留期間は、保険料拠出から年金受給までの平均回収期間を意味する。 スウェーデンでは、これが32年と算定されており、過去拠出対応給付部分を負債に置く、32年間(滞留期間)の公的年金バランスシートが作成されている。

[6] 引用は『ドン・キホーテ』〔後篇 三, pp.403-8〕による。