勿凝学問10
究極の選択における一方の選択肢のみを見せる論法
2004年5月28日脱稿
慶應義塾大学
商学部 教授
権丈 善一
究極の選択とは
究極の選択における一方の選択肢のみを見せる論法
◆究極の選択と人口推計
◆日本社会が直面する究極の選択

究極の選択とは

数年前に、究極の選択という遊びが流行った。あまり品の良い譬えがないので、例をあげることは控えておく。究極の選択という遊びは、どうしようもない最悪の選択肢二つをあげて、そのうちどっちを選択するか?その理由は?と問いかけ、答えてもらい、みんなで大いに盛り上がるという他愛のない遊びである。そして、最近の年金論議をみていて、一昔前に流行った究極の選択という遊びを思い出したので、また、筆(?)をとってしまった。

究極の選択における一方の選択肢のみを見せる論法

まず、究極の選択における一方の選択肢のみを突きつけられた状況を考えてみよう。誰もが、それは絶対にダメだと答えるであろう。そう答えたくなる選択肢でないと、この遊びは成立しない。では、究極の選択におけるもう一方の選択肢をも突きつけられ、これら最悪の選択肢二つのうち一つだけを選ばなければならないとなれば、どうなるか。

究極の選択と人口推計

では、遊んでみよう。図1をみてもらいたい。

 これは、今国会で審議中の年金法案のなかで仮定されている将来の合計特殊出生率である。2004年には1.32であり、2007年に1.31でボトムを迎え、その後上昇して2050年に1.39となる。そしてそこから直線的に上昇を続け、2100年には1.73となる。

このグラフを見せられながら、最近の合計特殊出生率が1.32まで落ちており、なお一層の低下が予想される現況を教えられた人は、何を思うか?容易に想像できることであるが、年金改革の政府案は、いかにも甘い人口の見通しに基づくものであり、もっと実現可能性のある法案を作るべきである・・・と考えるであろう。

では、ここでクイズを一つ。上のような「甘い人口見通し」に基づいて2100年の人口を推計してみた場合、その人口は2004年人口のどのくらいの値になるか?次の4つの中から1つを選択せよ。

  1. 80%
  2. 70%
  3. 60%
  4. 50%

図2を見てもらおう。図2に、図1で仮定されている合計特殊出生率に基づく総人口の将来推計を描いている。

解答は、4番の50%である。2004年次には1億2,763万人であり、2006年に1億2,774万人でピークを迎え、その後減少して2050年に1億59万人となる。そしてそこからも減少は続き、2100年には6,414万人となる。ようするに、実現の見込みがないほどに甘い仮定であると評されている合計特殊出生率であったとしても、その出生率に基づいて将来の人口を推計すれば、総人口は2100年には2004年の半分となるのである。図2を見て、日本の将来はこれでよしと、どのくらいの人が思うだろうか。

日本社会が直面する究極の選択

政策選択という視点からみれば、現在の日本は、多くの者が非現実的と批判する合計特殊出生率の仮定を受け入れるか、それとも2100年には日本の人口を現在の半分には決して到達しないほどに低い(現実的な?)合計特殊出生率を仮定するかという究極の選択に直面しているのである。

ところで、国立社会保障・人口問題研究所は、人口学に基づく「日本の将来推計人口」として、実は、2050年までしか行ってはいない。それ以降については、参考推計を行っているに過ぎず、その注釈として次のように記している。 


 平成122000)年から平成1122100)年の人口の推移を描くため、平成632051)年から平成1122100)年について参考推計を行った。生残率、出生性比、国際人口移動率は平成632051)年以降一定とし、出生率は、平成622050)年の仮定の水準から平成1622150)年に向けて人口置換水準(2.07)に回帰すると仮定した。
http://www.ipss.go.jp/Japanese/newest02/newest02.html


 以前、次のような文章を書いたことがある。「公的年金を論じるという行為には自己矛盾がある、とわたくしは常々考えてきた。なぜか?公的年金は、将来予測に対して<人知の限界>があるゆえに存在する制度であると考えられるのに、公的年金を議論するためには、将来の話をしなければならないからである。これを<公的年金論議のパラドックス>と呼ぶことにしよう。・・・何十年も先の経済社会状況を予測することは、どんな方法をとってもいかに費用をかけても、実のところ不可能なのである[1]」。こうした考えを持つわたくしは、これから50年後、100年後、そして150年後の合計特殊出生率という、来年のことを笑う鬼が100人(?)いても足りないような将来の話題についてまともに論じる気などさらさらないのだが、国立社会保障・人口問題研究所が2050年以降の参考推計として20512150年の100年間で合計特殊出生率が毎年0.068ずつ回復し、2150年には人口置換水準2.07に到達するという仮定に、さほどの違和感を覚えることもない。そして、そうした仮定を置いても2100年には、日本の人口が半減してしまうというのであるから、<世間では甘いと評価されている>合計特殊出生率以上の出生率を実現することができるような社会を今からどうにかして作っていくことはできないものか、それが難しいならば国際人口移動率一定の仮定をゆるめる方向に世の中は動くのではなかろうかなど、いろいろと前向きな考えを持っている。こうした前向きな考え方から出てきたのが、年金改革と積極的社会保障政策というアイデアである。
 
 
ところが、政府の年金改革案は実現不可能な甘い合計特殊出生率の仮定を置いているという側面のみをとりあげ「究極の選択における一方の選択肢のみを示す論法」を用いながら、自分の主張の方向に市民の感情を誘導しようとする人、すなわち政府年金改革案を否定的に印象づけようとする人が、どうもこの国には多すぎる。「究極の選択における一方の選択肢のみを提示するという論法」は、どうせもう一つの究極の選択肢を一般市民は気づいていないであろうという読みに基づいた論法である。この論法は、国民の無知を前提とする、国民を愚弄した論法であるようにわたくしには見える。もっとも、論じている当人たちが、もう一方の選択が究極の選択肢であることに気づいていない状況も想定され得るのであるが、まさかそういうことはあるまい・・・と祈りたくもなる。

参考文献
権丈善一(2004)「第3章 積極的社会保障政策と日本の歴史の転換」『年金改革と積極的社会保障政策――再分配政策の政治経済学U』慶應義塾大学出版会

[1]権丈(2004), p.18.

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