5 Oct, 2005

5時半――1865年7月13日木曜日――パーティは出発する。
雲一つない快晴。ピーター・タウクバルダー・シニアと、彼の二人の息子たち、クロズ、ウィンパー、ダグラスハドソンとハドウら8人の男たちは、マッターホルンの麓を目指し、シュワルツぜー経由で登っていった。

現在、そのすぐ下方にヘルンリ小屋が設置されている。
山の麓に突きだした台地(3300m地点)に一行は野営テントを張った。その日の午後、クロズとピーター・タウクバルダーの息子は山の低い部分を偵察に出かけている。
その間、イタリア人のパーティは、リオン尾根(南東尾根)の3960m地点にカレルの先導により、到着し、そこに野営テントを設置する。

the view from Kleine Matterhorn
夜明け前に、ウィンパーはじめ7人は、荷作りをすませ、暖かな陽光を浴びながら、ヘルンリ尾根(北東尾根)を上り始めた。その間に、ジョゼフ・タウクバルダーはツェルマットへ戻っていた。山の東側を、男たちは順調に進み、尾根へ向かって、進路を変更しつつ、より高く登っていく。ウィンパーとハドソンが先導を交代しながら、行きに覆われた「山の肩」を越え、2回目の休憩の後、先頭を歩くのはクロズに変わった。進路は少し右にそれて、登頂は技術的に困難となった。
どのくらいの時間が経ったのだろう。穏やかな天候の中、1人、また1人と男たちがツェルマットの最高地点に立ってゆく。むなしく思われた数々の努力も今、ようやく報われた。マッターホルンはついに征服された!これで初登頂を競った8年間の勝利者がようやく決まったのだ。
クロズとウィンパーは、頂上から220m下の地点でゆっくりつ前進を続けるイタリア人のパーティを発見した。ウィンパーに敗北したことを知ったカレルはその場で下山する。

the view from Rifflesee
頂上で十分な休息を取り、一行の氏名を記した紙を瓶に入れ、それを山頂に残した後で、彼らは下山の順序について話し合った。
クロズが下山の際のリーダーになり、その後にはハドウ、ハドソンとダグラス、さらにピーター・タウグバルダー・シニア、ウィンパーとピーター・タウグバルダーの息子と続いた。間もなく彼らは難所とされる山頂のくぼんだ部分にさしかかる。一度に動くと危険なため、1人ずつしか前に進めない。クロズがハドウを支えるために砕氷斧をわきに置いたとき、ハドウが足を滑らせ、クロズ、ハドソンとダグラスは雪の中へと引きずり込まれてしまった。ダグラスとピーター・シニアの間をつないだ綱はちぎれ、タウグバルダー親子とウィンパーは、かなりの衝撃を受けつつ踏みとどまる。

かなりの時間が経過した後、残された3人は大きな恐怖と闘いながらゆっくりと下山を開始するが、すぐに日は傾き、彼らは高度4100mのところで夜を過ごさなければならなくなった。
長い長い夜が明けると、何とか下山した3人が硬直した顔で悲しい知らせを村に伝えると深い悲嘆の空気がツェルマットに広がっていった。

左から、タウグバルダー父、クロ、ハドソン牧師、ダグラス卿、ハドウ、ウィンパー、タウグバルダー息子


| ベアト・P・トルーファー『マッターホルンの歴史』より |
| 1891年 Visp – Zermatt間鉄道開通 1895年 Kleine Sheidegg – Jungfrau間鉄道開通 |
7 Sep, 2007に再び訪れた時の景色


下記の景色を眺めていたまさにその瞬間の9月12日に、日本から首相退陣に関するインタビューの電話がかかる。
あの時に持っていた電話は、下記。

あの時持っていた電話は、SoftBank X01HT(台湾のHTC製) ――2006年10月発売の、Windows Mobile 5.0を搭載した初期のスマートフォン。あの頃、どうして携帯とコンピュータが一体化したのがでないのかと思っていたら、SoftBankからこの台湾製の電話が出たので2006年に即get。日本でiPhoneが正式に発売されたのは2008年7月11日にソフトバンクから発売。

知識補給 大登山家ママリーとマッターホルン、そしてアルプスとマーシャル『ちょっと気になる政策思想 第2版』より

