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野茂,ドジャースタジアムでの最後の登板。二日後,彼は解雇される。

英雄、米大リーグ5年目の1000K 1試合平均9.67個
発行年月日 1999年 9月10日
媒体(紙誌) 朝日新聞 朝刊 スポ2
紙面 27
【ミルウォーキー(米ウィスコンシン州)8日=山本秀明】大台へはあっさり到達した。米大リーグ、ブルワーズの野茂英雄投手が八日、当地のダイヤモンドバックス戦の一回に、大リーグ通算1000三振を奪った。7失点で敗戦投手となったが、通算奪三振は1004個まで伸び、大リーグ五年間の1試合(9回)平均奪三振は9・67個を記録している。
左手を上げた。一回一死、ベルを外角の速球で空振り三振に取って、ファンの拍手が起こったときだ。しかし野茂は「声援にこたえようと思ったけど、汗をふいただけです」。はにかみ屋のエースは「(米国で)ビッグな選手になりたかった。けれど、1000奪三振の数字などは予想していなかった」と、五年間を振り返った。
最悪といえる今季のスタートだった。開幕直前にメッツを解雇された。一九九五年の新人王は、メジャーの選手として開幕を迎えることができなかった。いくつかのチームの“入団テスト”を受けた。行き着いた先は、優勝争いとは縁遠いブルワーズだった。年俸は二十五万ドルまで落ちた。それでもトルネードは、ひたすら打者に向かった。
何事にも、野茂はパイオニアだった。意志を貫いて大リーグ入りして、その後の日本人選手の大リーグ行きのブームを作った。昨年はトレード、今年は解雇と、荒波にもまれた。未知の世界へ飛び込んでいく。その生きざまが、彼の人気を支えている。
「1000という数字自体、大きなものだと思う。でもまだこれからがあるので、意識はしない」。野茂の前進が続く。
(山本秀明)
〈野茂の奪三振記録〉
(8日現在、★はリーグ最多)
年度 所属 試合 勝 敗 三振
1990 近鉄 29 18- 8 ★ 287
91 近鉄 31 17-11 ★ 287
92 近鉄 30 18- 8 ★ 228
93 近鉄 32 17-12 ★ 276
94 近鉄 17 8- 7 126
計 1204
95 ドジャース 28 13- 6 ★ 236
96 ドジャース 33 16-11 234
97 ドジャース 33 14-12 233
98 ドジャース 29 6-12 167
メッツ
99 ブルワーズ 24 11- 7 134
計 1004
| 米大リーグ レッドソックス・野茂、ノーヒットノーラン--復活…2度目の金字塔 |
| 掲載日:2001/04/05 | 媒体:毎日新聞 夕刊 | ページ:13 | 文字数:931 |
| 【ニューヨーク支局4日】米大リーグ、レッドソックスの野茂英雄投手が、また快挙を成し遂げた。今季初登板となった4日(日本時間5日)のオリオールズ戦で、ノーヒット・ノーランの力投。昨年はマリナーズの佐々木主浩投手が新人王となり、今季からは野手としては初めてマリナーズのイチロー外野手、メッツの新庄剛志外野手が加入するなど、日本人選手が活躍の場を広げているメジャーで、野茂が先輩の貫録を存分に示した。 野茂が投じた110球目は、左翼への力のないフライとなり、難なくグラブに吸い込まれた。それまで、11三振を奪う小気味のいいピッチングを続けながらも、いつものポーカーフェースを崩さなかった野茂が、にっこりと笑ってバリテック捕手と飛びつくように抱き合った。野茂自身、5年ぶり2度目の快記録だった。インタビューに答えるときには、また淡々とした表情に戻り「ファストボール(速球)が、いい球がいっていた」と振り返った。 「わがまま」などと批判の声が渦巻く中、日本のプロ野球を飛び出して海を渡った先駆者の野茂。1995年にはドジャースで新人王になり、オールスター戦にも出場。体を大きくひねって投げる独特の“トルネード投法”で、その後も数々の勲章を手にしてきた。イチローや新庄といったニューフェースに日本のファンの関心が集まり、やや影が薄くなりかかっていたが、「まだまだ、野茂を忘れるなよ」と言いたげな快投だった。 テレビ観戦していたというマリナーズの佐々木は「すごいですね。体が締まっていたし、今年にかける気持ちが出ていた。(レッドソックスは)ライバルチームだし複雑な気持ちはあるけれど、同じ日本人としてよかったと思います」と祝福。 ◇対戦が楽しみに--マリナーズ・イチロー外野手 日本人選手が出ればいつも頑張ってほしい、と思っています。(野茂との)対戦は楽しみですが、それまで僕がちゃんと試合に出ていられるように頑張らないと。 ◇おれも頑張る--メッツ・新庄外野手 野茂さんにはそれぐらいの力はあるので、やっても不思議ではない。驚く方がおかしい。心からおめでとうと言いたい。おれも頑張る。【共同】 | |||