勿凝学問29
3党合意は古証文?
2005年3月23日Ver.3
2005年3月21日Ver.2

2005年2月26日
 226事件からちょうど69年(?)経った2005年2月26日、日経テレコン21で、読売、朝日、毎日、日経、産経、東京をはじめとしたすべての新聞を選択して、キーワード「年金 and 古証文」で検索すると、わずかに1件だけがひっかかる。
「社会保障の三党合意は古証文」岡田氏が批判。
『日本経済新聞』2005年2月26日 朝刊2面
 「小泉純一郎首相は三党合意とかいう『古証文』を何回も取り出しているが、相当カビが生えている」。民主党の岡田克也代表は二十五日、横浜市内で開いた神奈川県連の会合であいさつし、社会保障を巡る与野党協議を迫る首相の姿勢を批判した。・・・
なるほど。
三党合意が締結されたのは2004年5月6日であるから、「三党合意は古証文」と民主党代表が言った2月25日を起点とすれば、295日前。党の公約が、295日を過ぎればカビのはえた古証文になるとすれば、現民主党代表の下でマニフェストが発表されたのは6月24日だから、このマニフェストも花見の頃の4月15日には古証文になるはず。あたるだろうか、この予測。。。。。
えっ、そんなのとっくの昔に古証文になってる?

以前、「今の野党って楽な仕事なのか・・・」という雑文を書いたが、やはり野党は楽な仕事なのであろう。おそらく民主党の公式見解ではないはずの「三党合意は古証文」と似たようなことを与党党首が口にすれば、集中砲火をあびることは必定であろう。それほどに、この発言は、民主主義運営の根幹に関わる重い失言であるような気がしないでもない。
人の噂も75日・・・ 古証文発言から遡ること
75日前
2004年12月12日
民主党、年金改革法案を衆議院に提出(勿凝学問27 98日前 2004年11月19日
民主党マニフェストに記載されている日付 246日前 2004年6月24日
三党合意締結 295日前 2004年5月6日
参考資料
・リンクご協力へのお礼 日興ファイナンシャル・インテリジェンス 年金研究所
勿凝学問29脱稿後の年金協議関連の動き
与党との年金協議、民主で執行部批判。
『日本経済新聞』2005年3月23日朝刊2面
2005年3月23日
民主党は二十二日、両院議員懇談会を開き、社会保障改革に関する与野党協議への対応を話し合った。旧自由党系議員が与党との協議入りを決めた岡田克也代表ら執行部を相次いで批判し、反対論の根深さが改めて浮き彫りになった。与党との折衝に加え、党内調整も難航しそうだ。
 年金問題に関する懇談会は八日以来、二回目。出席者は「協議での獲得目標をはっきり定めるべきだ」「執行部は何をしたいのかわからない」などと非難した。
 「与野党協議で百点満点は取れないかもしれないが、頑張る」と理解を求める岡田氏に対し「与党と連立政権を組んでいるのではない」などとヤジが飛んだ。
 岡田氏は「次の衆院選まで国民は待てない」と反論。「うまくいかなければ(与党との協議に応じた私の)政治責任を問うような意見は嫌いだ」と党内の慎重論に不快感を示すなど一歩も引かなかった。
 年金協議の枠組みを巡って民主党は衆参両院の合同協議会の新設を要求。与党は国会外での政党間協議を主張し、話し合いは平行線のまま。二十三日に予定していた与野党協議も見送られた。
・・・
この問題、日経新聞のみが追っている模様。
昨年5月の「三党合意」以来、この問題では10カ月ぶりの顔合わせとなった三党幹事長の会談。1時間の会談のほとんどを、「どこで協議するか」の枠組み論に費やした。
11日に再会を約束して解散。
2005年3月9日
民主党岡田代表の「私の政治判断」発言をもって、小沢副代表との調整は取れないままに、年金協議が動き始める。 2005年3月8日
民主党岡田代表は、民主党両院議員懇談会で、「私の政治判断で与党との年金協議のスタートラインにつく」として、年金制度改革の抜本改革を条件に、社会保障に関する与野党協議に応じる方針を決めた。

参考資料
――なにが起こっているのか?――
民主党両院議員懇談会 8日午前に開催される。
出席者は約200人。18人が発言。
「出席した約二百人のうち十八人が発言したが、出席者の一人によると内訳は「賛成六、反対・慎重四の割合」。賛否は拮抗(きっこう)していた」〔日経朝刊3月9日〕。
そうしたなかでの、上記、岡田代表の「私の政治判断」発言で両院議員懇談会は締めくくられた。

また、「懇談会でも、発言した18人のうち、岡田氏の判断を無条件に支持する声は少なく、「与党にだまされないように」「与党に改革案がないのにどうやって話し合うのか」といった苦言が続いた。岡田氏が「政治判断」という言葉で、議論を収拾させた面もある」〔朝日朝刊3月9日〕。

党内で大きな影響力を持つ小沢一郎副代表は懇談会を欠席したが、協議入り反対を、5日前の3月3日「明確な結論なしに、ただ協議にのっかるというのは、いいとは思えない」(3日)と表明している〔朝日朝刊3月9日〕。
「小沢一郎副代表らは、「次の衆院選で争点となるから、与党と手をつないではだめだ」と、選挙対策などの観点から反対を主張してきた。昨年夏の参院選で年金問題を争点として勝利したことが背景にある。8日の懇談会でも、小沢氏に近い議員らから「与党案がまとまってから協議を始めるべきだ」「協議などやめた方がいい」などの厳しい意見が出て、執行部が立ち往生する場面もあった」〔読売朝刊3月9日〕。

民主党が唱える「基礎年金への税方式の採用」などの条件を与党が受け入れる空気は現段階ではない。それでも、岡田氏が協議入りを決断した理由を、執行部の一人は「与党との協議のテーブルに着いた後にもめるのと、一度も着かずに批判だけするのでは有権者の受け止め方が違う」と説明する〔日経朝刊3月9日〕。
岡田氏が協議参加に向けて動き始めたのは2月中旬。国民の年金、社会保障改革への関心が高い中で「いつまでも野党丸出しで『反対、反対』というわけにいかない」(若手)との判断が働いた〔読売朝刊3月9日〕。

 なぜこの時期かを考えるヒントとなるのは、4月の衆院統一補欠選挙と、七月の東京都議選。
  • 4月 衆院統一補欠選挙
  • 7月 東京都議選
「岡田氏や、「次」をうかがう野田佳彦氏らは、反対と抵抗を国会対策の中心に据える戦術には違和感を覚え、政権担当能力をアピールしないと党勢は拡大しないとみる」〔日経朝刊3月9日〕。
ただし、「民主党内では協議に応じたことで、4月の衆院統一補欠選挙や7月の東京都議選で、年金改革などを争点にするのが難しくなったとの受け止め方が広がっている。岡田氏周辺からは「民主党が統一補選や都議選で敗北するようなことになれば、岡田氏の進退に影響しかねない」と心配する声も上がっている」〔読売朝刊3月9日〕という見方もある。

また、衆院選を視野に入れた説明もある。
「執行部の方針に了承を取り付けられたのは、次の衆院選がいつ行われるか不透明で、国民の多くが関心を持っている社会保障制度改革にいつまでも背を向ければ、「年金の政権担当能力を疑われ、かえって政権が遠のきかねない」との不安感が強かったためだ」〔読売朝刊3月9日〕。

「ある幹部は「今はこれで進むしかない。協議のテーブルができれば、与党に年金改革のやる気がないと国民に示したうえで、テーブルを壊すことも含めた選択肢が広がる」と解説する。ただ、ベテラン議員の間には「お手並み拝見」という冷めた見方もあり、今後の協議次第では岡田氏の求心力低下につながる可能性もある」〔朝日朝刊3月9日〕

「慎重派も協議入りに「絶対反対」とまでは踏み込まず、岡田氏が「ぜひ了承していただきたい」とあいさつし、懇談会は一時間半で終わった」〔日経朝刊3月9日〕。


8日の夕刊は、全国紙全紙が取り扱う。
某新聞は、「さいころは振られた」との文章で、この記事を結んでいたが、そこは、「賽は投げられた」の方が良いと思う・・・老婆心ながら。